死ぬまで海外ドラマ(死ぬ海)

アメリカ、イギリス、中国と欧州各国のドラマ。

『BONES』(シーズン10終了) (2005~)  




"骨は語る"は要らない。(笑)
ちなみに『HOUSE』も、"Dr."が付いてない頃の方が良かった。(笑)

アメリカではシーズン11も既にやっているらしいですが、明らかに10で内容的にひと区切りついているので、レビューしてしまいます。
大好きだった長尺シリーズが"終わった"という感慨のままに、書いてしまいたいというか。


『BONES』(FOX) (Wiki)

内容

人付き合いが苦手な超理論派、法人類学者のブレナンと、直感的で体育会系のFBI捜査官ブース。全く異なるタイプの2人が現場に残った被害者の“骨”から証拠を見つけ、事件を解決へと導く人気シリーズ! (公式)


レビュー

・"大好き"と冒頭に言いましたが、細かく言うとそれは、終盤の数シーズンに対しての気持ちで。
・一方で実は、最初の2,3シーズンはいつ視聴を止めてもおかしくない程度の存在で、"法人類学"の勉強になるという特典(?)が無ければ多分見続けていなかった、評価としては"B"「まあ好き」を通り越して"C"「普通」くらいで落ち着いてもおかしくない程度。
・滅多に無いことですがこういう場合どうすべきか、基本的には良し悪し含めて初期の出来を優先すべきだろうと思います。
・つまり逆のケース、「最初は面白かったけどその内ネタ切れやマンネリや新機軸の失敗でどんどんつまんなくなった」というパターンはそれはもう、腐る程あるわけで(笑)、その場合には最初の面白かった頃を、"歴史"には残すべきだろうと。歴史的"意義"というか。
・逆にだから最初の世に出た頃につまらなく感じた作品も、それはそれで"公平"に、「つまらない」ものとして歴史に残すべきかなと。
・あと"原則"以外の要素としては、どのように「世に出た」か、つまり拙いままクオリティが低いまま人気が出てそれでドラマシーンに影響を与えたのか、それともクオリティが低い頃は地味だったけど、その向上と共にある意味妥当に人気が出たか、そういうタイミングでも、評価の仕方としては変わって来るかなと。
・つまり後者なら、クオリティが上がった時を本格的な"デビュー"として、評価もその時期を基準にやってもいいかも。
・逆に前者なら、いくら後々人気に合わせて予算やスタッフが増強されてクオリティが上がっても、それは作品の本質にとっては後付けであるので、余り重視しない。
・例えば『24』とかがそうですね。
・最初(地上波深夜でやってた頃)は2chの実況スレで毎度大爆笑大会突っ込み大会が開催されるズッコケドラマだったのに(笑)、ある時期からとんどんクオリティが上がって最近はすっかり僕も"真面目"に(笑)見ています。
・もう「老舗」の貫禄すら感じさせる。
・ただ"ブーム"を起こしたのは最初の"お笑い"の頃だったので、歴史上の評価としては、あんまり高くつけられない。
・まあどうでもいいっちゃどうでもいいんですけど(笑)、ただ何せアメリカのは長く続くのが多いので、どこらへんを基準に取ってるのかとかは、やっぱり言っておいた方がいいかなと。10年たてば、別の作品になってもおかしくないですからね。(笑)
・...で、『BONES』の場合どうかというと、ブームという程ではないけど初期の頃から安定して人気はあったように思うので、基本的には初期を基準に、ただ後期が余りにも面白いので、ややおまけしての「A:好き」評価。本来はBあたりかな、上の基準だと。

・具体的に何が不満だったかですが、簡単に言うと、ありきたりということですね。
・話も、人も。
・科学捜査もののテンプレという以上のものは感じなかった。
・特に問題だった、問題にしたいのは、他ならぬヒロイン"テンペランス・ブレナン"の造型・描写で、彼女の法人類学者としての才能技量と共に、その理性・合理・実証一辺倒の極端な性格が、話を、人間関係を動かし、ある意味のテーマでもあったわけですが。
・その描写がどうも、いただけなかった。
・彼女のそうした特性が「科学」に殉じたゆえの必然的なものや潔さというよりも、単なる"欠点"あるいは欠点を覆い隠す為の虚勢としてしか描写し切れていなかったし、従ってそれを諭すブースを筆頭とする周囲の人たちも、それに"対決"するというよりも常識の立場から陳腐な忠告をしているだけに見えて、「葛藤」のレベルが凄く低次元というか、お約束というか、落としどころが最初から決まっているような緊張感の無さが目立っていました。
・実はその欠点は僕が内容を"素晴らしい"と評価している最近の作品でも根本的には変わっていないので、つまりは元々の、恐らくは原案者なりメインスタッフなりの、洞察そのものの限界なんだろうと思います。
・僕が例えば何と比較してこういうことを言っているかというと、代表は何と言っても、『スタートレック』シリーズですね。
・つまり『宇宙大作戦』の"ミスタースポック"、『新スタートレック』の"データ"、『DS9』の"オドー"、そして『ヴォイジャー』の"セブン・オブ・ナイン"と、シリーズには歴代それぞれの理由で「理性」一辺倒タイプのキャラが出て来て他の人間の"感情"や"不合理"と葛藤を巻き起こすわけですが、それらのキャラたちの"必然性"やそこから生まれる「人間とは」「感情とは」という問いや疑念の"本気"度に比べると、BONESのテンペランスをめぐるそれは正直子供騙しだと思います。
・勿論彼らとテンペランスの"条件"は対等ではなくて、そこはSFでミスタースポックは宇宙人だし、データはアンドロイドだし、オドーはそもそも個性を持たない流体生物であるし、セブン・オブ・ナインは人間ですがしかし機械生命体(ボーグ)に育てられた一種の"狼少女"であるという、決定的な特異性を持っているわけです。
・つまり彼らの「合理」は、"性格"というより"存在"そのものなわけで、テンペランスのたかだか"偏り"とは次元が違うわけですね。どう強がっても、普通の地球人である(笑)テンピーに感情が無いわけがないので。どうしてもただの"欠点"や"虚勢"に見えがち。
・...ではあるんですけど、一方で『スタートレック』を"書いて"るのは、「地球人」なわけですよね。(笑)
・そういう意味では、テーマが同じならば、同じ土俵でその描写の深い浅いを比べる必然性も存在する。
・一つ直接的に比べるならばヴォイジャーの"セブン・オブ・ナイン"、彼女の場合は要は特殊な育ちをしただけの地球人であるわけで、そういう意味では複雑な親子関係と科学への忠誠心で特殊な"性格"形成をしたテンペランスと、同ケースと言えば同ケース、そういう観点で比較すると・・・という。
・あるいは「極度に理性的な女」とそれを改めさせようとする「感情的な男」コンビとしては、『こちらブルームーン探偵社』というものもあります。



・あの作品で見られる二人の火の出るようなと同時に寒気がするようなコンフリクトの凄味や、マデリンの拒絶に時に絶望に駆られながらも食い下がるデビッドの男の哀愁・色気、そうしたものと比べてしまうと、申し訳ないけどテンピーとブースのそれはままごとにしか見えません。

・では逆にどこがいいのかという、話になりそうですが。(笑)
・恐らく貢献大なのは、"ブース"デヴィッド・ボレアナズの人柄の良さだろうなと。
・何を言ってるんだという感じかも知れませんが(笑)、途中から(確か)プロデューサーにも名を連ねるようになった彼の本気の人柄の良さ、"アメリカの理想の男"ぶりが作品全体に浸透して、多少の「陳腐」なりにしかしそういうものとして作品が安定して来た、命が吹き込まれた。
・人形にがというか。
・まあ『大草原の小さな家』的なところはあると思います。あるいはひょっとすると、「金八先生」的な。(笑)
・一般論としてはともかく、作品内では十二分な魅力や説得力を、彼のパーソナリティが発揮し出した。
・そこにおいては僕が問題としたような"葛藤"の本格度などは中心的な問題ではなくなり、むしろ彼の"愛"に包まれる幸福、葛藤の"回避"の方が主動力になって行ったというか。
・テンペランスは"娘"になったというか。(笑)
・そう言えば彼女の超ユニークな親父さんが"活躍"し出してから、本格的に面白くなって行った記憶もありますが、結局一種のファザコンドラマだと、そういう分析もやろうとすれば出来そう。(笑)
・まあ実際、何か関係あるだろうとは思いますよ。(追求しませんけど)
・とにかく中心であった葛藤がある種"風景"化し、また徐々に脇役が充実して来ることによって、ある種桃源郷というか遊園地/ワンダーランド的な方向に、作品が変化進化して行ったという、そういう印象。
・実際"ジェファソニアン"は、遊園地ですしね(笑)。大人の。あるいは科学者の。
・そうして安定して行った「世界」において・・・これは具体的なことは僕は分からないんですが、エピソード・シナリオの質がある時期から物凄く上がって来た。
・なんか今週は神回だったなと思った翌週がまた神回で、おやおやと思っていたらその内ほとんどが"神回"レベルになって行ってしまいにそれで安定してしまったという、そういう記憶があります。
・最後の3,4シーズンはほんと凄かった。
・こういうの一番説明しずらいんですけどね(笑)。構造的に目に見えて何が変わったわけでもないので。
・それまでやってた同じことを、数段高いレベルでやり出したというだけの話なので。
・音楽において「最後は曲だよな」というのと同じように、「最後はシナリオだよな」という、そういう話。
・何ら"画期的"なところはないのにクオリティだけ"超絶的"という作品になっていました。
・まあ多分、デヴィッド・ボレアナズ自身が慧眼なんだろうとは思います。
・自分自身に特別特殊な才能は無くても、特別なものいい悪いを見分ける目は持っている。
・それを自分の"一座"で、思う存分やらせたと、そういう「幸福」な作品。
・正に"プロデューサー"というか。
・役はマッチョでしたけど、相当頭は良さそうというか。

・まあでもほんと、色んな要素が、突き抜けはしないけれど定期的に鋭さも見せながらしかし円満に、高いレベルで安定して表現されていた作品で、繰り返しますが"才能"の使い方の上手い人なんだろうなと。
・"丸く収めている"限界はありましたけど、これだけクオリティが高ければ文句は無いです。
・毎週子供のように楽しみでした。(笑)
・そういう意味で、プロの作品ですね。
・冷静になってみると、どこが凄いとかはなかなか言えないんですけど。
・スタートレックなら言えても(笑)。あるいはブルームーン探偵社なら。
・ひと区切りついた後のシーズン11が、おかしなことになってないよう、祈ります。


他の人の感想

今回は無し。
2005年開始の作品ですし、既にあえて言うことも無いメジャーな作品のせいか、ググってもニュース系しか出て来ませんでした。
探せばどこかにはいるでしょうけど、本文でも書いたようにあんまり批評的にどうというタイプでもないので、まあいいかという。(笑)


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Posted on 2016/03/27 Sun. 16:04 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(アメリカ)

thread: 海外ドラマ(欧米) - janre: テレビ・ラジオ

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『メンタリスト』終わっちゃいましたね。  




スタートは2008年か。

『メンタリスト』(スーパー!ドラマTV) (Wiki)

内容

カリフォルニア州を管轄とし、各地で凶悪犯罪の捜査にあたるCBI(カリフォルニア州捜査局)。捜査コンサルタント、パトリック・ジェーンは鋭い観察眼を持ち、人の心の動きを逐一読みとり、嘘を暴いて真実を見つけだす犯罪心理のスペシャリストだ。CBIの捜査官リズボンは彼をチームに迎え入れるが、被害者の家に勝手に上がり込んだり、事情聴取でいきなり「君が犯人か?」と尋ねたり、事情を知っていそうな者に催眠術をかけてみたり…と、型破りな彼の行動にチームのメンバーは困惑する。
かつては、霊能者タレントとしてテレビで人気者だったパトリックには、妻と娘を連続殺人鬼「レッド・ジョン」に殺される悲劇があった。 (Wiki)


連続殺人犯なんかも普通に出て来る"クライムサスペンス"ではありましたが、とはいえハッピーエンドなんだろう、事件は解決するだろうし、少なくとも主要人物に最悪の事態は訪れないんだろうと、ある意味"安心"して見ていられるところに特徴のあった作品だと思います。
リアルでないこともないんだけど、どこかおとぎ話風味というか。
事件の"解決"そのものも、CBIや後にはFBIのエリート捜査官たちが対処に当たりつつも、結局は要するに万能超人たるパトリック・ジェーンのアイデア一発で全て上手く行く、基本全てそのパターンで、捜査官たちもそれに慣れ切っていて(笑)、ある意味安易というか、気楽と言えば気楽な構造の話。
だがそれがいい!それでいい。この作品に関しては、もうそれで良かったと思います。

理由を探すとすれば、パトリック・ジェーンの魅力、"メンタリスト"としての心理洞察・操作の見事さ、楽しさ、"元詐欺師"という、作品自体の"いんちき"臭さ(笑)を逆に正当化するパックグラウンドの妙。
それからリズボンを筆頭とする周囲のキャラ・同僚たちの、"振り回され"っぷりの良さ(笑)、加えて言うなら実は一見一番の堅物であるチョウ

チョウ.jpg

のジェーンの「受け入れ」方が、この作品のややご都合主義的なところを上手く現実に着地させていたと思います。
チョウがジェーンを褒めると、なんか自分の事のように嬉しかったですね。(笑)
そういう意味で極めつけの、「主人公」ドラマではあったわけですが。際どいところを、上手く渡り切っていたなと。
完璧ではないけど、絶妙というか。


実は個人的に、この作品には随分"お世話"になっていて。
改めて振り返れば2008年のスタートから2015年ないし日本での放送終了の2016年までの期間に、僕は2回もしくは3回(記憶が曖昧)、大きな個人的"落ち込み"経験をしていて。まあ猫が死んだりいわゆる失○的なあれとか、それ自体は月並みな話であえて語るほどのことではないんですけど。(笑)

で、そのそれぞれの落ち込み経験の"当日"、脳内がアドレナリンやら何やらで荒れ狂っていて爆発しそう、どう自分を収めていいか分からなくて困っている時に、なぜか必ず、『メンタリスト』の放送があったんですよね。
動揺して落ち込んで、どんな"お笑い"やら"バラエティ"も全く見る気にならず、日々の時間つぶしのルーティンのあれこれに全く興味が持てずに呆然またはイライライライラしている時に、なぜかその『メンタリスト』を見ると、気分が落ち着いてドラマの中に引き込まれて、その回が終わる頃にはまあまあ平常心を取り戻すことに成功していた。
ほんとにほんとにほんとに、その時は感謝したものです。毎回。その都度。

何でなのかは、よく分からないんですけどね。(笑)
メンタリストのドラマとしての堅実さが、話の構造の"気楽"さと、"おとぎ話"性の優しさを入り口として、上手く僕の脳に浸透して来てくれたからか。
恐らくは必ずしも『メンタリスト』じゃなくても良かった部分はあって、海外ドラマ、特に米ドラのきっちりした作り、邦ドラとはレベルの違う「大人の仕事」感が与えてくれる"安心"感"秩序"感、更に"外国"の話であるという適度な距離感と"舶来"もの(笑)のゴージャス感というか"華麗"感、そこらへんが相まって、現在只今置かれている苦しい現実から上手く距離を取ってかつ沈静化させてくれる、別世界の自立した"秩序"に誘導してくれる、そういう効果は一般にあるんだと思います。
ただとにかく僕の場合は、なぜかそれが『メンタリスト』であったと。毎回(笑)。ちょうど良く。(笑)
そういうことです。

感謝感謝。ほんと感謝。


というわけで、多少の贔屓もこめた(笑)、評価。

企画(設定のユニークさやテーマの斬新さ) ☆☆☆★★
ストーリー(展開の面白さ、または内容の意味深さ) ☆☆☆☆★
人物(キャラクターの魅力、あるいは心理描写の妙) ☆☆☆☆★
演出(テンポの心地良さや雰囲気に引き込む力) ☆☆☆☆★


「企画」のところは"メンタリスト"という概念の(当時的)目新しさが無かったら、もっと低いかも。
あと「人物」も、ぶっちゃけ主人公以外はただの"脇"というところはありますけどね。
レッド・ジョン・・・。いましたね、そんなの!(笑)
まあ割りとどうでもいい。基本はあくまで、「一話完結」ものの楽しさ。やはり"おとぎ話"的。

『メンタリスト』の放送が無くなって、これから僕はどうしたらいいんだろう。
いざという時もう救ってもらえないので、気を付けて落ち込み経験をしないようにしなければ!(笑)


他の人の感想

「メンタリスト」シーズン1、感想ネタバレ目次♪ (愛してますっ★海外ドラマ さん)

あえて探した"シーズン1"当時の感想。
 「気軽に観られる犯罪ミステリーがお好きな方にオススメな作品です。」
えらい軽いですが(笑)、意外とそういう紹介がぴったりの作品です。軽く見ても良し、重く見たければ見ても良し。

メンタリストシーズン1ネタバレあらすじ・個人的な感想「ジェーンの執念が・・・」 (海外ドラマ人気情報NAVI さん)

こちらもシーズン1。
 「あとは声優さんの声がこれまたイイ!!」
これは本当に。字幕版も見ましたが、結局最後まで吹き替えで見ちゃいました。あえて見てる"好き"な作品では珍しいですね。

『メンタリスト』のシーズン7の最終話まで見た [ネタバレあり] (Digital Explorer さん)

レッド・ジョン編終了以降、「シーズン6のエピソード9」以降はダレたという感想。
まあその通りだとは思いますし、こんな続き方かよと僕も喜びつつ驚きはしましたが(笑)、あれはあれで、"気楽に見られる"『メンタリスト』の持ち味を純粋培養した感じで楽しかったと思います。


終わっちゃったのね、『メンタリスト』。チャンネルそのままにしてたのに。(笑)


Posted on 2016/08/20 Sat. 15:04 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(アメリカ)

thread: 海外ドラマ(欧米) - janre: テレビ・ラジオ

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『イレブンス・アワー FBI科学捜査ファイル』(2008)  

eleventhhour.jpg


・・・レイチェル・ヤング捜査官への愛は既に語りましたが(笑)、こちらは純粋な作品評です。


『イレブンス・アワー FBI科学捜査ファイル』(AXN) (Wiki)

内容

科学を悪用した難事件が次々と発生!「イレブンス・アワー」=”土壇場”で謎は解けるのか?目が離せないスリリングな展開が待ち受ける!
生物物理学者のフッドはFBI女性捜査官レイチェルと組んで、科学が絡む事件に挑んでいく。 (公式&Wiki)


レビュー

企画(設定のユニークさやテーマの斬新さ) ☆☆★★★

"同名イギリスドラマをリメイクした"作品ということですが、そちらの方は知らないので、単純に見たままの感想です。
一言で言ってこの部分、企画の詰めのぬるさが、最大にして根本的な弱点になってしまっている作品だと思います。
「科学事件に特化した捜査もの」というのはなかなか面白いですし、用意されたネタも十分に魅力のあるものだったと思います。ただ全体として、ないしは究極的にどういう作品にするかということについて具体的に十分に考えてスタートした作品かという点は、非常に疑わしいです。"科学"的な"ネタ"を、一般的なコンビ捜査もののフォーマットにそのまま当てはめただけの、かなりぞんざいな作りの作品という印象。
これはある程度はAXNの番宣のミスリードのせいもあるかも知れませんが、てっきり僕は、一線を越えた現代科学の悪用・濫用を行っている金持ちネットワークなり超法規的結社なり、何か巨大な組織とのギリギリの戦いを主人公たちが繰り広げる"ポリティカル"に近いクライム・サスペンスのような、そういうハイテンションの作品を予想していました。
ところが蓋を開けてみれば個別にそういう要素は無いわけではないけれど、結局は"偶発的に""孤立して"パラパラと起きるそれぞれの事件をいちいち解決をして行くだけの、牧歌的とまでは言いませんがネタが珍しいだけの至ってトラディショナルなコンビ捜査もので、なんかわざわざバカ高い材料を使ってただの定食ものを作ってる店みたいな感じで、不味くはないけど何なの?みたいな拍子抜け感中ぶらりん感。

"トラディショナルなコンビ捜査もの"が悪いわけではないですし、毎度毎度巨大組織や陰謀と戦うのもいい加減子供じみてると言えばそうなんですが、とはいえ先端科学というネタが自ずと与える話のスケール感や実際に出て来る巨大組織や資本との関連性、それにフッドとレイチェルの主人公二人のクールなルックスが与える緊張感からすると、巨大な敵なり背景と"対峙"させる形にした方が、この場合はむしろ、自然だったのではないかなと。ドラマの力学として。
FBIに実際にこういう部署が周知のものとしてあるというなら、"日常"を描いてもいいんでしょうけど、無いんでしょ?少なくともあるというような描写は、無かったですよね。
何かこう、勿体ないというか工夫の無い作品だなあというのが、総体としての印象。
・・・そういえば"イレブンス・アワー"の意味も、見てるだけでは分からないですよね。あの時計何?

ストーリー(展開の面白さ、または内容の意味深さ) ☆☆★★★

一話完結の捜査ものとしては、一回一回、普通に楽しめました。その意味では、☆はもっとあげてもいいんですけど。
ただ通して見ると、迷走してる部分もあって、1stで打ち切りもうなずけるというか。(笑)
確か3話で出て来た、偏屈者フッドが教え子やら他の捜査官やらに意外にモテて、レイチェルが急に男として意識し始める的な描写、それ自体は微笑ましくて良かったんですが、その後二度とそういう描写は出て来なかったし、レイチェル自身の男関係も時々取ってつけたように導入されるけどいかにも入れただけという感じでしたし。恐らくは視聴率の低迷から、急遽投入された巨漢の黒人トレーニー"フェリックス"は面白いキャラでしたが、

ehf.jpg

余りにも唐突な登場でしたしまた変に有能で、何か合流に至る特別なエピソードでも欲しいような感じでしたし、作品そのものが18話で終わってしまったことで当然(トリオとしての)消化不良感は残りましたし。
最後に出て来たFBI副長官との"陰謀"風味の確執は、本来はシーズンまたぎの大きな新展開にでも繋げるつもりだったんですかね。分かりませんが「一話完結の王道捜査もの」に慣れた身には、唐突に出て来た「政治」に、なんか体がついて行かなくて面倒だからやめてみたいな感じになってしまいました。(笑)
とにかく"エピソード"としては一つ一つ悪くなかったけど、"シリーズ""シーズン"としては、割りとグダグダしてたなという、そういう感想。まあ根本は上で言った、"企画"の緩さによるんでしょうけどね。

人物(キャラクターの魅力、あるいは心理描写の妙) ☆☆★★★

これもねえ、☆2つは悲しいですねえ。一人一人は好きなんですけどね。
まずフッドとレイチェルは、二人ともいい人。とてもいい人。
それはいいんですけど、そのことの「劇的」な意味というのが、分からないというか特に考えられている感じがしないというか。
レイチェルに関しては、"たまたま"いい人だということでまあいいとしましょう。「出世コース」からは微妙に外れたみたいな、(性格面の)補足もありましたし。・・・ただそれにしても、見た感じ「国家的財産」であるようなフッドの頭脳の守り手としては、じゃあ逆にどういう理由で選ばれたのか、何か他に凄いところでもあったのかと、それは納得が行かないと言えば行かない。そんな甘い性格で成り立つのかというか。
ただより根本的に疑問があるのがフッドのパーソナリティで、"天才"捜査官・探偵の定番として"変人"ではあるんだけど、大した変人ではないというか内向的であるにしてもそれは愛妻と死別して間も無いという"事情"であっさり理解できる程度の「偏差」で、後は至って常識的であるし、親切ないい人であるし。
いい人なのが悪いわけではないんだけど、「現代科学」をテーマにした話で、それが問いかけるだろう倫理的困難や人間観の揺らぎ的なそういう葛藤というか緊張感みたいなものが、当然担い手となるはずの"科学者"フッドのパーソナリティにほとんど反映していなくて、第一話からいきなり"陳腐"と言ってもいいくらいのオーソドックスな「ヒューマニズム」を行動原理とする人だということがあっさり分かってしまって、えええ?というか、それは無いよおというか。
結局はだから、そこらへんも含めて、「定食」感が出てしまってるということですね。高級料理になってない、"知的冒険"感が足りない。単純に科学「知識」が、ばらまかれてるだけで。
後はまあ、これは「企画」や「ストーリー」に属する話かもしれませんが、二人の"出会い"というか、"結成"に至るプロセスの話は、普通は必要なんじゃないかなという。その流れがあって、それぞれの性格が定まるというか。
好感は持てるけど、ちょっと浅いよねという、そういう二人。

演出(テンポの心地良さや雰囲気に引き込む力) ☆☆☆☆★

と、挙げてみるとマイナス点のオンパレードのようで、でも決して楽しくなかったわけではなかった、"まあ好き"評価に収まった(笑)というのは、スタッフの基本技量は決して低くなかった、枠組みの限界の範囲ではあるけれど、劇としての"ツボ"をちゃんと押さえて、破綻なく、それなりの見栄えがするように作ってくれていたと、そこらへんを評価しての、☆4つです。(ここでも押さないと、"Bランク"の辻褄が合わないというか。(笑))
またまた料理の比喩で言えば、味は美味しいんですよ、普通にね。ただ"店"としてのプロデュースに、失敗している。

惜しいですね。このネタと、このスタッフキャストで、しかし企画のところをもっとちゃんと練っていたら、十分に「傑作」が作れていたと思います。
"リメイク"作品としての不自由さやイギリス版の影響が、どこまで原因だったりするのかは、ちょっと分かりませんが。


他の人の感想

Eleventh Hour(イレブンス・アワー) Episode 8 (英会話を独習する人のためのブログ さん)

「一見冷たそうに見えるフッドが時々見せる人間味、あるいは正義感溢れる完璧主義のレイチェルが時々見せる人間味
どっちも結局人間味じゃんて(笑)、この人が悪いんじゃないんですよね、そういうぬるい作品なんです。(笑)

イレブンス・アワー FBI科学捜査ファイル/シーズン1 お試し視聴。 (海外ドラマ:つぶやき処 さん)

「最初から見ていないので、勝手な解釈ですけども、(中略)どういった経緯でコンビを組んでいるのか、メイン2人の人となりとか分からなくても全然見れました。」
実は"最初"から見てても"経緯"は分からないわけですけど(笑)、それは難点であると同時に確かに「それでも見られる」という、緩い良さ・特徴の表れでもあるわけですね、実際この方も楽しめたように。

イレブンス・アワー (今日の思いつき さん)

イギリス版の情報があります。
「リメイクでは全体にちょっと若返ったわけですね。こっちは90分全4話だったようです。」
パッと見だいぶ印象違いますね。リメイクに苦労しての、半端な作りだったのか。


つまらなくはないんですよ、本当に。本当です。(笑)
"下らなく"は、もっとない。少なくも出演者が好きなら、結構楽しく見られる作品なんじゃないですかね。


Posted on 2016/08/26 Fri. 18:20 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(アメリカ)

thread: 海外ドラマ(欧米) - janre: テレビ・ラジオ

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『CSI:科学捜査班』(2000) 終了・総括  





『CSI:科学捜査班』(テレビ東京&AXN) (Wiki)

内容

全米で第2の規模を誇る科学捜査機関と言われるラスベガス市警 犯罪課 犯罪現場捜査研究所 科学捜査班(CSI:Crime Scene Investigation)のメンバーたちは、昼夜を問わず発生する事件の現場に駆けつける。犯人の遺留品や証拠物件を検証し、犯罪を科学的に立証していく。(AXN公式)


レビュー

・全15シーズン、主人公にほぼ当たる"主任"の変遷で整理すると、1-9がグリッソム、9-11がキャサリン&レイ(教授)、12-15がラッセル。
・キャサリンと教授の関係は、Wiki見てもよく分からないし僕自身ぼんやり見てた時期なので正確なところは・・・
・僕が見始めたのはスカパー"以前"の時代のテレビ東京の、確か火曜の21時台だったか22時台だったか、とにかく深夜ではなくて、なかなか"ゴールデン"なイベントでした。(笑)
・昔はNHK系を除けば、テレ東のその枠と昼間の枠、TBSを中心とする全国局の深夜枠が"海外ドラマ"を見る機会で、数が限られていたのもあってそれこそ貪るように見ていたものでした。
・CSIをAXNで放送し始めたのは・・・2003年からか。えっ、テレ東もほぼ同時なの?嘘っ?!
・僕がスカパーに加入したのは、中田ヒデがバルマに移籍した2001年ですから、2003年に同時に始まっていたらAXNでの放送を認識していないとはとても思えないんですが、このWiki間違ってないかな。絶対テレ東の方が先だと思うんだけどな。
・まあいいか。(笑)

・始まった時は、とにかく斬新・新鮮に感じました。
・科学捜査の"本格"感・徹底感も、それまでに無かったレベルのものでしたし、"ドラマ"の作り方のクール感シャープ感、無駄なものをそぎ落としたスピード感も、「科学」的な内容に相応しい、当時のアメドラの標準から見ても特別かっこいいものでした。
・"近未来"というよりは"最前線"ですかね、やっぱり。「科学」ではあっても、(近年うんざりするほど作られている)「SF」には流れない感じが、品が良くて良かった。
・今でいう"CG"でしょうか、血管とか消化管とか神経とか、体内を"物質"が流れて行く瞬間を"物質"の「主観」で映すというようなそれまであり得なかったような映像を多分初めて見せてくれたドラマで、まあ随分驚きましたよワクワクしましたよ。
・まとめて"はったり"っぽくはあるんだけど、なんか節度あるはったりで、作り手側の自己顕示ではなくあくまでお客様(笑)の視聴の快適の為の単純化という感じで、見た目派手だけど本質的には職人芸というか。
・そういうドラマ。

・一方でこのドラマのもう一つの特徴は、「科学」ということとも関連して来ますが、大きくは警察組織の中にありながら、非マッチョ・非体育会系・非アメリカ的「健全」な文化系・オタク系な世界を、全面的に概ね肯定的に描いて見せたということにあると思います。
・"初めて"と断言していいのかどうかは分かりませんが、確実に一つ新境地を開いたというか、市民権の確保に成功したというか。
・まあ『BONES』で正に"アメリカ的健全"なブースの言う、"スクインツ"(目を細める連中)みたいなことですけどね。
・2005年製作の『BONES』でもまだあからさまに差別的なそういう言い方が主人公格のキャラクターから普通に出て来るように、あるいは2014年の『NCIS:ニューオーリンズ』での腹が立つほど相も変わらず類型的な"科学者""分析官"の描かれ方からも分かるように、アメリカではそこらへんの文化的構造は非常に堅固なわけで。
・『CSI』での特にグリッソムの、一般との乖離は表現しつつも、慎重で冷静な描かれ方には、「レッテル」ではなくちゃんと描くんだという、作り手のはっきりした意思を感じました。
・多分実際に作っている側が"そちら側"の人で、だからこそ逆にドラマの中では比較的"アメリカ的健全"を担っているニック・ストークスには、精彩・魅力が感じられないんだ、ただのイモ兄ちゃんに感じるんだとそう思ったりするわけですが。(笑)
・多少"レッテル"化しているというか(笑)。"外"からしか描けてないというか。
・それはともかく加えて重要に感じるのが、グリッソムがただの科学者・分析官ではなくて、上司である管理職である、"ボス"であるということで。
・アメリカドラマの中で、"ボス"というのは「強さ」と「男」(生物的には女でも笑)を表現する、これ以上ない役柄というか"花道"というかそういうポジションで。(NCISのギブスあたりを筆頭に)
・ほとんど"そうでなくてはいけない"勤まらないはずの役柄で。
・そこにグリッソムのような科学的権威はあっても内気で繊細で、"統率力"より"理解力"で部下に接するようなタイプのパーソナリティが配されてそして("ドラマ"的に)成功したというのは結構な快挙で。
・これによって「科学者」が、「文化系」の人間が、"科学"でだけでなく"人間"として存在を認められた席を与えられた、大げさに言うとそういう"事件"だったかなと。
・それ以後も無印CSIは、中継ぎ的なキャサリン以外はレイもラッセルも、基本的に同タイプで通してますよね。
『マイアミ』『NY』では、我慢出来ずにそれぞれに"男"を発動させていますが。(笑)
・実際無印CSI以外では、未だにほとんど成功例は見当たらないように思います。
・出自が何であれ、アメリカ的「上司」像は徹底的に/結局のところ、"強さ"ないしは"男らしさ"が求められる。
・"知性""理性"というよりも。
・強いて言えば、『クリミナルマインド』のホッチナーでしょうか。顔は怖いですけど。(笑)
・とにかくそういう画期的、ないしは孤立した特徴を持つ、作品だと思います。
・非アメリカ的というか。
・それが同時に職人的定番的人気ドラマでもあるという、組み合わせの妙。
・...日本では「理系」「文系」はそれはそれで対立的関係にあったりもしますが、アメリカではとりあえず「文化系」という括りで、マッチョイズムに対抗するしかないと思います。そっちが優先。(笑)

・そんなCSIですが、僕も15年間常に面白かったわけではなく。
・"職人的"なのは結構なんですが、定番化が余りに進んで、最初の斬新さが薄れるとor"時代"に追いつかれると。
・グリッソム時代の途中から、かなり長めの"中だるみ"期があって。
・キャサリン/レイ時代の終わりには、ほとんど見るのをやめていたような状態でした。
・見ていなかったり、見ても寝落ち率90%くらいだったり。(笑)
・レイは嫌いじゃないんですけど、"地位"が安定しないんで見てる方も安定しなくて。
"主任"あってのCSIですから。
・ただラッセルの登場でかなり盛り返したというか、製作陣もやる気を取り戻した印象を受けました。
・サブキャラでは押したかったのだろう、珍しく"肉体派"のフィンは最後までピンと来ませんでしたが。
モーガンは好きでしたね、大好きでした。
Elisabeth Harnois1.jpgElisabeth Harnois2.jpg

・このElisabeth Harnoisという女優さんは、『ポイントプレザントの悪夢』というしょうもない(失礼笑)青春ホラーでデビューした時から、かわいこちゃんルックスだし演技もまだ大根だけど、このコは出来るコだね中身のあるコだねと、注目していました。
・だからCSIでの科学捜査官・分析官という"意外"な役回りはむしろ我が意を得たりで、実際とても良かった、「女の子」である部分と「友達」である部分が絶妙にブレンドされた、みんなに有り難い存在感を発揮していたと思います。
・現場服に"着られてる"感じも可愛かった。(笑)
・とにかくそういうこともあって、最後の方はまた楽しく見るようになっていました。
・ちょっと"家族が危険"ネタが多過ぎた気はしますが。

・まあでも潮時でしょうね。
・持ち直したところで終われて、良かったかなと。
・「科学捜査」を教えてくれて、ありがとうございました。
・"ギル・グリッソム"をありがとう。ついでにモーガンも。(笑)


Posted on 2017/02/22 Wed. 20:55 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(アメリカ)

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『キャッスル ~ミステリー作家は事件がお好き』(2009)  




『キャッスル ~ミステリー作家は事件がお好き』(FOX) (Wiki)

内容

お調子者でセレブな人気ミステリー作家と、お堅いクールビューティな敏腕刑事が、さまざまな事件に挑むオシャレで知的なミステリードラマ。(映画.com)


感想

・ええっと、シーズン3まで見てたのかな?4?
・署長が二人を狙った黒幕だということが分かって、どっちかを助ける為にどっちかが死んだか?!というところでシーズンが終わって。(いいかげん(笑))
・明けて新シーズンで再会したキャッスルとベケットの恋愛が、"本気"モードになりかけたところで、興醒めしてリタイヤという形。

・最初はやっぱり、"ミステリー作家が本物の事件に随行し続ける"という設定が変わってて、面白く見ていました。
"作家の想像力"が事件の解決に寄与する描写も、それなりに説得力はあったと思います。
・ベケットの部下の男刑事たちが、余りに易々とキャッスルに協力するのにはん?という感じもありましたが、キャッスルのおばあちゃんを筆頭に脇も結構魅力的でした。
・ただいかんせん、肝心のベケットにほとんど魅力を感じなかった。
・シャープなルックスはかっこいいですし、初期段階でキャッスルの介入に示す抵抗は当然でもあり、そこで"ヤな感じ"なのはいいスパイスということでいいんですが。
・関係が進んでも結局"ヤな感じ"というか、「愛想が無い」というよりも単に「心が貧しい」という風に見えてしまって、キャッスルが熱を上げれば上げる程、僕の方は白けてしまいました。それほどの女じゃないよ?キャッスル。(笑)
・まあそこらへんの描写の妙は、日本の"ツンデレ"アニメにでも学んで欲しいです(笑)。いや、マジメに。(笑)
・「アメリカ」どうしで比較すれば、やはり『こちらブルームーン探偵社』"マデリン・ヘイズ"でしょうか。彼女のベケット程にも譲歩しない手厳しさと、しかしその"必死さ"ゆえににじみ出ていた可愛げと。
・比べるとベケットのは、"生き方"というよりは単に「習慣」「キャラクター」のレベル。"タイプ"の問題でしかないというか。
・...なのに途中から女優さんが中年太りに負け始めて、命綱というか基本設定の"シャープさ"まで微妙になって来てしまった(笑)ので、一気に我慢が出来なくなったというか。
・まあ悪い作品ではないと思います。気楽に見れる、よく出来た"娯楽"作品。
・一回クリスマス・ディナーのお供にした記憶なども。(笑)


Posted on 2017/03/22 Wed. 17:43 [edit]

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『跳べ!ロックガールズ ~メダルへの誓い』(2009)  




『跳べ!ロックガールズ ~メダルへの誓い』(FOX) (allcinema)

内容

シングルマザーの母親、車椅子の弟と米コロラド州に転校してきた主人公エミリーは、奨学生として名門体操クラブ“ロック”に入部する。ライバルの女子高生たちは、気の強いお金持ちばかり。それぞれがオリンピック出場を目指して、練習と恋と友情に悩みながら奮闘する姿を描いた青春ドラマ。(映画.com)


感想

・2009年なのか。もっと古い作品の印象。
・体操選手ものなので"レオタード"からの連想もあって、『フラッシュダンス』('83、映画)とかオリビア・ニュートン=ジョン『フィジカル』('81、シングル)とか、なんかあそこらへんの(笑)時代感。
・...ああ、『フェーム/青春の旅立ち』も'82か。なんかこの時代は、みんなレオタード着てたのかな。(笑)
・ドラマの作りとしても、閉鎖的な業界での根性物語で、たまに日本の"大映ドラマ"とかも思い出す(笑)、普遍的というか古典的というか、そういう印象を与える作品。
・ただ・・・面白かったですね。良作だと思います。
・"古典的"な分、しっかりともしていて、広くは"ティーン・ドラマ"なんでしょうが、そういう上滑りなところは全くと言っていいほど無い。
・"恋愛"沙汰はあっても、"10代の暴走する性欲"臭は希薄というか。(笑)
・大人(父兄、コーチ)の話も多いですしね。子供も子供なりに、"しっかり"悩んでますし。
・そもそも"根性物語"なのは、「オリンピックを目指すレベルの体操選手たち」という設定上致し方ないというか不自然ではないですし、そういう世界で起きる出来事の"普遍"性というか、時代感の薄さは、これもまあ仕方が無いと言えば仕方が無いことですしね。
・ただどちらかというとむしろ、「古典的」なタイプのドラマ作りの腕を持った作り手たちが、流行に媚びずに安心してその"腕"を発揮する為に、こういう素材を選んだのではないかという、そういう印象を受けます。
・日本のアニメで言えば、日テレ深夜枠の『アカギ』『カイジ』佐藤雄三監督作品などと、似たような位置というか。(分かるかな?笑)
・その分地味ではありますが、それでも本国ではシーズン4までやったのか。
・機会があったら見てみて下さい。おすすめ。ただし余り過大な期待は持たずに。(笑)
・多分、見だすといつの間にかのめり込むタイプの作品だと思います。


Posted on 2017/03/23 Thu. 19:32 [edit]

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『メンタル:癒しのカルテ』(2009)  




『メンタル:癒しのカルテ』(FOXスポーツ&エンターテイメント) (Wiki)

内容

ジャック・ギャラガーは、精力的で型破りな若き精神科医。ロサンゼルスにある総合病院の精神科部長に任命された彼は、病院の医療体制に新たな風を吹き込んでいく。ギャラガーの革新的な治療法と方針は、院内スタッフを大いに刺激し、さらには病院の体制全体を覆すこととなる。(公式)


感想

・割りとある"型破り医師"ものですが、その"型破り"の痛快さを楽しむというより、じっくりじっとり(笑)、真面目に精神科医療を、一つ一つの"ケース"を追求していく感じの作品。
・それが演出なのか、それとも主演の俳優さん(クリス・ヴァンス)の個性によるものなのか、今一つそこらへんがはっきりしない印象の作品でした。
・...ああ、イギリス人なのね、なるほど。その後『スーパーガール』('15)で出て来た時は超悪役で、それが結構ハマっててむしろそういう人なのかなという。(笑)
・"型破り"の部分は専ら病院の同僚・スタッフたちに向けられていて、自分が働き易い環境を作る為に善悪きわどい駆け引きや取り引きなども割りと平気で行って、そこらへんは(恐らく手本でもあるのだろう)『Dr.House』('04)のハウス医師なんかとも似ています。
・ただ患者に対しては治療は独創的ではありますが、ひたすら献身的で時に過度なくらいに親切で、それはハウスとは違う。(笑)
・まあ精神科の患者にハウスみたいに辛く当たったら、普通に自殺しかねませんからね(笑)、当然と言えば当然なところもあるわけですが。
・構造的には、やっぱり"ハウスのメンタル版"を狙ったんですかね、結果だいぶ違う味になってますが。
・似てるというなら、『ライ・トゥ・ミー』('09)の方が(『ハウス』には)似てるかな。
・この作品はかなり正統的な"ヒューマン・ドラマ"に近い感触になっていて、それが少し地味だったのと、僕も混乱しているような演出の妙味なのか曖昧さなのか分かり難い部分がアダとなったんでしょう、あえなくシーズン1で終了。
・僕は結構好きでしたけどね。
・ただハウスほどの引っ張る魅力は無いので、この先待っていたのだろう、精神障害を抱えた妹さんをめぐる切ないあれこれやギャラガーの落ち込みとかに、ちゃんと付き合えたかは未知数。
・でも見る価値はあると思います。#5『人気スターの苦悩』あたりは、かなり変わった症例でもあり、構成でもあり、ハリウッドのスター男優の多くが実際に抱えていそうな心の闇でもあって、面白かったです。


Posted on 2017/03/24 Fri. 17:40 [edit]

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『ホワイトカラー』(2009)  




『ホワイトカラー』(AXNミステリー) (Wiki)

内容

天才的なテクニックと頭脳を持ち、セクシーで洗練された魅力の詐欺師と、堅実な捜査で実績を積んできたFBI捜査官。追って追われる関係にあるはずの二人は、ある条件を共有することでコンビを組み、ニューヨークに蔓延する知的犯罪事件を捜査していく。 (公式)


感想

・好きなんですけど、なんかなあ。
・多分主人公ニールに、生理的に落ち着かない(笑)ところがあるからだと思います。
・登場時は確かに、目の覚めるような美青年でしたよね。ただ余りにも美青年なので、逆にちょっとの"衰え"も気になって。
・シーズン6まで続いた作品の、宿命ではあるのかも知れませんが。
・ただかなり早めに(笑)、気になっていたと思います(笑)。意外と髭が濃いし(剃り跡・・・)、裸はまあまあ鍛えてはあるけど、白過ぎて少し気持ちが悪いし。
・もうちょっと意識して、細マッチョに仕上げて欲しかった。(笑)
・元々バレリーナ/フィギュアスケーター系の男性美は苦手なので、"完璧"な場合のみ受け付けるというか。(笑)

・毎回出て来る"詐欺"の手口は面白かったですが、ただ特に"侵入"系のトリックは、時間制限が厳しかったり運に左右される面が大きかったりで、悪い意味でハラハラさせられることも多かったです。
・出来ればもっと鮮やかにというか、「余程のことが無ければ失敗しない」という説得力を、"天才"詐欺師の仕事としては、持たせて欲しかったかなとか。
・アイデアの時点で凄え!ということも、確かにしばしばありましたけど。
・一方で堅物のはずのピーターの利かせる意外な機転は毎度地味に楽しかったですし、更に奥さんが飛び入りして来るともう最高ですね(笑)。もっとやれどんどんやれ。
・普段ウジウジしているモジーの、現場での頼り甲斐もカッコ良かったし、結局僕は、ニールがあんまり好きじゃないということなのかな?(笑)
・最初は好きだったんですけどねえ、ニールを可愛がる大家のおばあさんの気持ちも、肩を持ってピーターを困らせる奥さんの気持ちも、よく分かった。
・...奥さんと言えば、ストーリーが進むにつれて、ピーターの身を守る為にニールを切り捨てる、あるいはニールに厳しい決断を迫ったりするような場面が増えて来ますが、あれはなんか、凄く怖かったです。
・上の「さっさと大人になる女」ではないですが、女の"本気"が見えるような瞬間で、ええ、もう遊んでくれないのお?というか、子供でいちゃいけないのお?というか。
・そこで反省したりは、あんまりしないんですけど男は。いいよいいよ、別んとこで遊ぶからとなるだけで。(笑)
たまには、反省します。(笑)
・比べればピーターの"友情"は、もっと素朴ですね。ストレートというか。
・あれはあれで、リアリティはあったと思います。
・"モジーには冷たい"というのも、あれはあれで。(笑)

・ニールの"彼女"は、歴代魅力的でしたね。いちいち覚えてませんが。(笑)
・"華麗"なる"詐欺"ストーリーの、最も分かり易い部分を担っていたというか。
"ボンド"ガール的に。
・結局一番長く付き合った"サラ"

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が一番好きかな。「保険調査員」という設定も"距離"的にちょうど良かったし、"付き合う"リアリティがあった。
喧嘩しちゃって残念でした。

・まあ「華麗」の部分も「知的」な部分も「ドラマ」の部分も、満遍なく高水準で網羅されている、いいドラマだったと思います。
・軸はやっぱり、ニールとピーターの友情で、FBIの人事がそれを邪魔しそうになるたんびに、ほんとに悲しい気持ちになりましたね。
・"詐欺"の方はともかく(笑)ニールの女の"口説き"方も、一応参考になる気がしないでもないようなあるような。(笑)
・基本ニールは、騙してる時の方がかっこいいかな?(笑)


Posted on 2017/04/05 Wed. 20:02 [edit]

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『DARK BLUE/潜入捜査』(2009)  

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『DARK BLUE/潜入捜査』(スーパードラマTV) (allcinema)

内容

市警察で犯罪者たちと戦い続けたが、3年前からなぜかデスクワークに回された伝説の刑事、カーター・ショウ。彼は眠ってはいなかった。精鋭揃いの潜入捜査官チームを率い、凶悪犯どもを追い詰める、極秘ミッションのリーダーとなっていたのだ。ショウの部下は、かつての潜入捜査で神経をすり減らしたタイ、最近の潜入で善悪の見境がつかなくなったと疑われるディーン、元犯罪者の女性捜査官ジェイミーといった個性的メンバー。 (公式)


感想

・見所は多分、潜入捜査の、ディラン・マクダーモット演じるリーダーカーターの立案する作戦の"DARK"さ、ほぼほぼ違法だろうあるいはモラル的に一線越えてるだろうというやり口の酷さ、その快感ですかね。(笑)
・純粋に作戦としても、バシッと決まるとなかなかの見事!感でしたし。
・製作者が見せたかったのだろう、それをめぐる捜査員たちの"葛藤"やそれぞれが背負う過去や因縁の"ドラマ"は、正直ひたすら鬱陶しかったですけど。(それで"D"評価)
・一方でその巷の人気にもかかわらず、僕が昔から苦手で仕方が無いディラン・マクダーモットが、知る限り一番"悪い"役で出ているのには、逆の快感がありました。
加勢大周が野島伸司の『人間失格』の"悪役"でハマった的なという例では、少し古過ぎるかも知れませんが。(笑)
・でも悪役の方が似合う二枚目って、潜在的に意外といますよね。
・マクダーモットがそうだとまでは思いませんが、"悪い"役であることで"好き"にならないでもいいというのは、ある種気楽ではありました。(笑)
・ここで"振り切った"ことによって、そういう要素も含みこんだハマり役、後の『HOSTAGES ホステージ』('13) に繋がったと、当ブログ的にはそういうことにしておきたいと思います。
・というくらいしか、書くことないかなあ。
・ポジティブ評価したばかりでナンですが、"潜入捜査の脱法感"をリアルに描きたかったのなら、カーターはマクダーモットではなくて、もっとクールな俳優に演じさせるべきだったと思いますし。
・どうにも"色"が付いていて、無駄に"ヒューマン"になっちゃうんですよね。
・"リアル"なのか"お話"なのか、どうもそこらへんがはっきりしなかった印象。
・「潜入捜査」はあくまで素材で、マクダーモットありきの浪花節を聴かせたかっただけならば、別にいいんですけど。でもジェリー・ブラッカイマーが、そんなのを作るかな?
・まあ、下らないとまでは思わないですけど、傑作とは言えないと思います。


Posted on 2017/04/06 Thu. 17:32 [edit]

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『ライ・トゥ・ミー』(2009)  




『ライ・トゥ・ミー』(FOX & AXN) (Wiki)

内容

たった0.2秒間に、人間が無意識に見せる表情やしぐさ。“微表情”と呼ばれるそれには、心の奥底に秘められているはずの真実が隠れていた!
そんな微細な動きを読み解く“微表情研究の第一人者”カル・ライトマン博士の研究所には警察や各省庁から依頼が殺到。研究所のメンバーと共に、事件捜査や人物の査定など、あらゆる事柄の真実を追求していく! (AXN公式)


感想

・邦題が複数ありますが、「ライ・トゥ・ミー」としか認識していません(笑)。全3シーズン。
・かなり好きな作品なんですが、構造的には"量産型"で、よく考えるとそんなに書くことはないかも。
この前ちらっと言ったように、'05年の『Dr.House』(の成功)を手本に作られたのと思しき、思い切って破綻した性格(というか人当たり)の"天才"独裁者主人公を前面に押し立てた、知的な謎解きもの。
・ハウスは「病気」を、ライトマンは「行動」「性格」を独創的に分析して、事態の本質を探り当てる。
・まあハウスの場合は病気の("治療法"以前に)"全体像"そのものを確定する、かなり哲学的とも言えるプロセスを含んでいましたが、ライトマンの場合は要は"誰が嘘をついているか"という話なので、少し浅いと言えば浅いか。
・"どうしてそういう嘘をつくのか"という意味論も含まれてはいるので、そこに若干の思索的要素もありますが。
・超横暴な主人公とそれをサポートする"微妙"な関係の女上司、それぞれ優秀だけど下僕のように使われる部下・研究生たちという人間関係は、『ハウス』そっくり
・ただし主人公をたしなめる常識人役は、ハウスの同僚医師よりライトマンの娘の方が、かなりキャラとして強力。(笑)
・実際この父娘関係のファンは、多いのではないかと思います。こんな賢い娘が欲しいし、一方でこんな無茶苦茶ではあるけれど話せば通じる父親も、いたら多分嬉しいだろうと思います。(笑)
・...もう一つ"似てる"と言えば、ライトマン研究所の"秀才の集まる独自機関"感は、同じく'05年に始まった『BONES』スミソニアンの風景にも似ている気がします。
・色々つまり"鋳型"はあるんでしょうが、そこに"流し込まれた"ものはかなり良質で、楽しめました。
『プラクティス』のリンジー役だった人は、やっぱり凄く上手くて"振り回され方"に味があるし、部下のラテン系の女の人も、恋人の女刑事も、それぞれに良かった。
・共通するのは、「物凄く失礼だけど物凄く有能で言っていることはとりあえず正しい男」に対する、怒るべきか怒るべきでないのか、どう反応すべきか葛藤するそれぞれに優秀ではある女たちの"反応"の面白さで。(笑)
・結局いつまでも"子供"でありたい男とさっと大人になってしまう女との間の、宿命的な構図というか単に男の願望というか。(笑)
・ちなみにヒッチコックもこの「失礼男と葛藤女」構図が大好きで、繰り返し取り上げてますね(笑)。(『鳥』など)
・まあただちょっとライトマンは、ハウスに比べても"わざわざ"やってる感が少し強くて、そこらへんが鼻について、今いち人気が出なかったのかなとか。
・ハウスにあった、そう振る舞わざるを得ない逆接的な良心の苦しみみたいなものは、あんまり感じられない。
・「型にはめに行っている」演技というか。
・まあでも面白かったです。もっと続いて欲しかった。
・娘の彼氏との関係も面白くなり出してたし、"女上司"との関係もいよいよ進展の気配が見えていたし。
・打ち切り残念でした。


Posted on 2017/04/07 Fri. 17:35 [edit]

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『コンバット!』(1962)  

『大草原の小さな家』目当てに契約しているFOXクラシックで、ついでに見ました。





『コンバット!』S1 (FOXクラシック)  (Wiki)(allcinema)

内容

ヨーロッパを舞台とし、第二次世界大戦下のアメリカ陸軍歩兵連隊の一分隊の歩兵たちを描いた。
歴史に残る大戦を忠実に描く一方、その裏にある歩兵ひとりひとりの人生にスポットを当てた緻密なストーリー展開が見物!(公式より)


感想

・"歴史に残る大戦"(↑)はあんまり描いていなくて、あくまで「兵士」の日常を描くのが目的で、"戦争"自体はぶっちゃけどの戦争でもいいという感じがします。
・そのことは後にシリーズの初期の監督ロバート・アルトマンが、今度は朝鮮戦争を舞台に同様に「兵士の日常」を徹底的に描いた映画『M★A★S★H マッシュ』

を作った(1970)ことによって、より鮮明になっていると思います。
・...つまり"戦争"の選択自体は、要は「その時点において"時効"となっている」、済んだこととして当たり障りなく描ける戦争という、それだけのことな気が。
・まあドラマに限らずフィクションを作る時に、昔から採られている手法ですね。時の政府を刺激しない為に。

・それはそれとして、その「兵士の日常」の描き方が何に似ているかというと・・・
・いわゆる「刑事ドラマ」ですね。"後の"かも知れませんが。
・刑事ドラマが"日々の"事件と刑事たちの"生活"を描くように、『コンバット!』は"日々の戦争"(戦闘)と、兵士たちの日常を描く。
・それくらいディテールが具体的だというのと、戦闘自体は飽くまで"日々"発生する、向こうからやって来るもの。ある意味機械的に。
・そこに戦争の"全体像"や"意味づけ"というのは、特に存在しない。(だからどの"戦争"でもいい)
・刑事たちが「今週の事件」を解決するように、兵士たちは「今週の戦争」をサバイブして行く。
・「連続ドラマ」ならではの描き方ではあるでしょうし、また恐らくはかなりの部分、実際の兵士たちの生活感でもあるのだろうと思います。
・"国威発揚"タイプのものでないのは勿論ないんですけど、じゃあ「反戦」ものなのかというと、そうでないこともないんだけどそれが「目的」にされている感じでもない。
・あくまで描写の具体性とそれに伴う"誠実さ"が一番の印象で、それが「反戦」に感じられるのならそれはもう、"戦争"自体に原因があるという、そういう感じ。
・主人公サンダース軍曹(上左ジャケ)もその上官(上右ジャケ)も基本的には立派な人ですし、(軍人的)"男らしさ"や戦場における"有能"さそのものは、別に否定はされていない
・そこらへんはまあ、「刑事ドラマ」におけるマッチョイズムの置かれている位置と、基本的には同じ。

・"お茶の間に戦争を届ける"という内容を考えても、恐らくは挑戦的なリアリズムの意思はあるのだろうと思いますが。
・それよれもむしろ、"古くも新しくもない"普遍性を感じる作品。
・それは上で言った「どの戦争」を描いているわけでもないという姿勢と、「国威」にも「反戦」にも還元を拒否する映画/ドラマ作者としての基本的な背骨の太さと、両方の効果でしょうが。
・まあ「素直」なんですよね。「虚心」というか。それが結果的に、時代を越えさせている。
・...逆にリアルタイムの視聴者が"何"を見ていたのかについては、不思議なところもあるんですけど。(笑)
・これ見て興奮していたのかなあ、サンダース軍曹かっこいいと。
・'60年代初頭では、まだ(ベトナム)反戦で盛り上がるという感じでもないだろうし(参考)。何がヒットしたんだろうという。
・やはり"男たち"を見ていたのかなという、それこそ「刑事ドラマ」のように。



Posted on 2017/07/05 Wed. 12:04 [edit]

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"アメリカ"の全て ~『逃亡者』(1963)  




『逃亡者』S1 (FOXクラシック) (Wiki)

内容

妻殺しの濡れ衣を着せられて、死刑宣告を受けた男、"リチャード・キンブル"が護送中に逃亡を図り、警察の追跡をかわしながら真犯人を捜し逃亡し続けるというサスペンスヒューマンドラマ。(公式より)



感想・分析

"アメリカ映画"の全て

・古い作品ということで若干高を括って、冒頭数話だけ見たタイミングで一回書いたんですが、1シーズン30話フルに見てみて良好だった第一印象を更に遥かに越えた優れた作品だったので、改めて全面書き直しです。(笑)
「逃亡死刑囚が広大なアメリカ各地を転々とし、追跡をかわしながら隙を見て真犯人探しにも執念を燃やす」という、"サスペンス"ないし"ロード・ムービー的サスペンス"としてのフォーマットががっちりと組まれていて。
・それだけでもある意味「傑作」になることを運命づけられた、そういう"気迫"を感じる作品なんですが。
・しかしこの作品の最大の持ち味、醍醐味は、上の内容紹介で言えば"ヒューマン"の部分。
・基本一話完結で、アメリカの様々な街や都市で、キンブルとそこで束の間出会った人々との"ドラマ"が描かれるわけですけど。
・その密度と掘り下げ具合、描写の迫真性が、"連続ドラマ"の1話1話というよりは1本1本がそれぞれ"映画"という趣、本格感、本気感。
・もし暇ならばそれぞれの「話」がどの「映画」に似ているか、カタログを作りたいくらいですけど。(笑)
・逆に言うと恐らく作り方としては、基本的に「映画」の畑の人が、縁あってアメリカ映画数十年の歴史を、「TVの連続ドラマ」という形で一気にパッケージしてみようと意図した、そんな感じなんではないかと想像するんですが。
・時は1963年、「アメリカン・ニューシネマ」勃発前夜、滅びゆく"アメリカ映画"の伝統『タイムカプセル』として・・・と、書いててなんかますますこの想像が当たっている気がして来てならないんですが、誰か詳しい方いたら教えて下さい。(笑)

"アメリカ"の全て

・そうした歴史的業界的視点はとりあえずおくとして。
・この"サスペンス"作品の一話一話が持っている、過剰な(ヒューマン)「ドラマ」性、恐らく会社側はそこまで求めてはいなかったろう(笑)それ。
・それが意図している基本的な方向性、動機としては、「全て」を書こう、「アメリカ」とそこに住んでいる人々の"全て"をという、そういうものかなと。
・余りだから、一本の連続ドラマをどう上手く仕上げるかという、そういう一般的な視点で作られているものには感じない、やはり。
・むしろこの作品という"機会"を使って、よく出来た"サスペンス"という「枠」を使ってという、そういう感じ。

・では具体的にどのような「全て」が描かれているのかというと・・・
・まず「冤罪」ものであるにも関わらず、「警察」権力は特に悪くは描かれていない。
・キンブルの逮捕に執念を燃やす、宿敵ジェラード警部
逃亡者 ジェラード警部
も、多少石頭ではあってもそれはあくまで職務への忠実さによるのであって、キンブル個人に対して何か濁った感情を含んでいるわけではない。
・しかもその"職務"意識、リーガルマインドも、単に"忠実"なだけのものではなくて「悪法もまた法なり」的な割り切りを含んだ至って自覚的なもので、なかなかの人物と言えます。
・だから逆方向の証拠さえ出て来ればいつでも心強い味方になってくれそうな予感はありますし、個人としてはキンブルの人格と知性にそれなりの敬意と境遇への同情心は持っていて、彼の逃亡劇に興味本位にまとわりつく輩には、例え警察への協力者であっても手厳しい口撃を食らわします。
・総じてキンブルの行く先々で彼に気付いて追って来る警察官や刑事については、要は「仕事」をしているという、フラットな描写が常態です。

・代わりにこのドラマが主に批判の矛先を向けるのは、そうした公に"制度"化はされていない「権力」、キンブルが束の間立ち寄るその土地土地の人間関係やしがらみ、閉鎖的な共同体や"名士""有力者"による隠微な権力、あるいはそこから零れ落ちた負け犬たちが形成する小集団の、その中で更に発生する小さな「権力」、そのいやらしさいじましさ。
「こういう輩はどこにでもいる」と、同種のナレーションが別々のエピソードで二度三度。
・だから「警官」は悪く描かなくても、「保安官」という私設警察官に関しては、ネガティブな描写も多いですね。"小さな権力"を振り回す、嫌な奴率が高いというか。
・更に話をミニマムなところに落とすと、もう何の制度にも共同体にも特に属してはいないけれど、女や子供や旅行者や、例えばキンブルのような弱点を持つ人間などの手近な、まとめて「弱者」に対して、自己満足やエゴ以外に理由の無い「権力」を行使しようとする輩に対しても厳しい視線を向けて。
・それに対して逃亡犯という身分の危うさと板挟みになりながらも正義感から思わず立ち向かうキンブルの行動が、しばしばストーリーの展開の大きなきっかけになっています。
・またそのキンブルの犯した"危険"の意味に感銘を受けた人々が、時に同情を深め時に反省・変心し、重罪逃亡犯であるキンブルをさりげなく逃がそうとするその決断と工夫、それがこのシリアスで暗めの作品の、一つの"カタルシス"ポイントとなっています。

・まとめて言うと、「国」としての、公的「制度」としてのアメリカは、それなりに十分に機能している、いい国であると、そのようにこのドラマの作り手たちは考えているようです。
・キンブルの冤罪・誤審のような"誤り"は時にあるけれど、概ね諸制度は公共心に基づいて運営されているし、官民共に善良な人道理の分かる人は、随所にいる。
・しかしそういうアメリカの"表の顔"・・・それは"嘘"ということではなくてアメリカが「アメリカ」たらんとしている部分ということですが、そこから視線を下に落としてみると。
・上でいみじくも「どこにでもいる」と言われているような、陳腐で下劣でそれゆえに普遍的でもある、人間(社会)の卑しい面も、決まり事のようにあちらこちらで目にすることが出来る。
・それら全てをリチャード・キンブルという一人の人間が、逃亡犯という特殊な状況ゆえに短期間に大量多様に経験する様を見せることで、独特の「カタログ」感というか「全て」感が生じる、そういう効果のある作品だと思います。
・人間て!という。
・...何か積極的な主張がある感じでもないんですけどね。"カタログ"すること自体が目的というか。
・"映画"の件でと同様に。
・ただ「キンブル」という人物を通じて、人間の善性の力と価値をかなり力強く描いている作品ではあると思いますし、また「ジェラード警部」を代表とする警察組織の"健全"性を描くことで、「アメリカ」への信頼と希望をあくまで表明している作品でもあると思います。
・全ては"1963年"の話ではありますが。

"女"の・・・全て(?)

・もう一つどうしても外せないポイント(笑)として、『逃亡者』に登場する"女"たちの多彩さと精彩があると思います。
・これも「カタログ」と言えばカタログなんですけど。「映画」集という性格に、含まれてもいますし。
・ただそれにしてもまあ、毎回登場するほとんどはその回限りの"女"たちの存在感の、鮮やかなこと生々しいこと。
・弱い女強い女、善良な女小狡い女。多くはある種の"パターン"ではあるんですけど、それを約30種類も見せられるとそれだけでもただただ壮観ですし、また30種類もあるにも関わらず一つ一つが「典型」としての力強さを持っていることには、驚嘆させられます。
・やはり「30本の映画」だと考えるのが、分かり易いとは思いますね。
・その中で中心となっているのは、弱い立場に置かれている女への無償の同情心、賢くはなくても一途に善良な女への敬意と愛情、一方でしばしばいる善とか悪とかいうよりもただただ「立ち回る」ことだけに終始する、ずるい女への軽蔑と憎悪、しかしそういう女が自分の中の「真実」に気付く瞬間の感動、こういったものでしょうかね。
・僕も何人か、忘れられない"女"に出会えました(笑)。女優さんもみんないい。
sandy_dennis cassielee_grant millie
・それぞれ第3話健気な野生児の"キャシー"(サンディ・デニス)、第25話亡夫の兄への秘めた愛に忠実な美女"ミリー"(リー・グラント)。
・キンブルは基本的に安定のモテ男で、色目を使われても簡単にのぼせたり騙されたりはしないので、"女"だらけでもドラマとしては、結構さっぱりしています。
・その意味では逆に、"男"目線というか男優位の傾向は、無くは無いかも知れませんけどね。
・でも立派だからなあ、キンブルは。(笑)


こんな感じです。だいたい言いたいことは言えたかな?
演出、特に吹替のそれに"時代"感が無いことは無くて、"ハマる"ところまではなかなか行かなかったですけど、例えばこのスタッフがもう2,30年も後に生まれても、間違いなくそこでその時代なりの傑作大ヒット作を生み出しただろうことは確信出来る、本当に優れた作品です。
機会があれば、見てみて損は無いだろうと思います。


Posted on 2017/08/09 Wed. 22:42 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(アメリカ)

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『ロイヤル・ペインズ』(2009)  





『ロイヤルペインズ 〜救命医ハンク〜』(TV東京)
『ロイヤル・ペインズ ~セレブ専門救命医』(FOXスポーツ&エンターテイメント)

内容

ニューヨークの大病院で将来を約束された指折りのER医師として働いていた主人公ハンク。ある日、緊急手術で青年の命を救った際に、看病を任されていた病院の理事長が亡くなってしまい、彼の人生は一変。ハンクは病院をクビになり医師会からも追放され、自堕落な生活の末に婚約者も失ってしまう。
そんな中、ハンクの弟で会計士のエヴァンが、彼をニューヨーク郊外の超高級住宅街ハンプトンズで開かれるパーティーに連れ出す。そこで急患を助けたハンクは、屋敷のオーナーである大富豪ボリスの目に留まり、セレブ御用達のプライベート医師“コンシェルジュ・ドクター”として、仕事をオファーされる。
翌日、ハンクは電話1本で急患セレブの元へ駆けつける有名医師と化し、ハンプトンズの上流社会で特有のカルチャーに巻き込まれることに。そして、エヴァンと共に“ハンク・メド”(ハンク救命室)を立ち上げ、セレブ社会でワガママ患者(=顧客)の往診に当たる慌ただしい毎日が始まる!(FOX公式より)


感想
・WOWOWを始め色んな局で放送されて色んな副題がついていますが(Wiki)、僕は上で書いたように前半を地上波で、後半をFOXで見たパターン。
・ただどうも"テレ東の昼"じゃなくて、"TBSの午前中"に見た記憶があるんだけどなあ、どこにも書いてない。
・"BS-TBS"ではやっていたらしいんですけどね。
・アメリカではシーズン8で終了。日本ではWOWOWで7まで、FOXで6まで放送済み。いつかは見られそうですがいつ最後まで見られるのかは分からない感じなので、もう書いてしまいます。

・一言で言うと、浅いような深いような変なドラマでした。
“コンシェルジュ・ドクター”というコンセプトは目新しかったし興味深かったですし、その意味ではれっきとした「医療ドラマ」ではある。
・ただ全体としてはとても軽量級というか軽薄・淡白な印象の作品でもあって、allcinemaだと"コメディ"という分類になっています。(笑)
・その"コメディ"要素をほとんど一手に引き受けているのは、主人公ハンクの弟"エヴァン"
ロイヤル・ペインズエヴァン
ですが、これがどうにも僕には好感・感情移入し難いキャラで。
・"トリックスター"ならではの逆説的な深みとか哀しみみたいなものを、ドラマ的には出そうとしていなくは無かったんでしょうが。
・結局はただのお調子者で、実(じつ)も芯も無い人物にしか感じられなくて、彼の虫の良い試みや金儲けが失敗すると、純粋にざまあみろと思えてしまうそういうキャラでした。(笑)
・逆に上手く立ち回って"同情"を引くことに成功していたりすると、不愉快で。(笑)
・要は小物の詐欺師の手際でしかないというか。
・一方でではそれと対照される、明らかに"二人一組"の片割れの彼の真面目な兄、主人公ハンクの方に思い入れ出来たかというと、それも無くて。
・こちらもまあ、"真面目"という以外に特に性格的な奥行きは感じられないキャラで、「医者」としての職能が無ければ、その職業的適性で正当化されなければ、およそ存在価値が感じられないというか、余り積極的に付き合いたい気にはならない人物で。
・逆に彼の"真面目さ"が極端に鼻につく時にだけ、エヴァンの"不真面目"に若干の応援の気持ちを送りたくなることもあるという、非常に低レベルの争い、人気争奪戦。(笑)
・安倍自民と野党かよという。(時事ネタ笑)
・結局だから、見え見えの「コントラスト」と「狂言回し」という以外に、余り価値や機能性を見出せない"主人公"たちで、その点である程度以上このドラマに、のめり込むことは無かった出来なかったです。

・一方ででもその割に、脇には結構魅力的なキャラが揃っていたと思います。
・ハンクメドの常任医療助手、インド系の"ディヴィヤ"("リディア"かと思ってた(笑))
ロイヤル・ペインズディヴィヤ
は真面目で潔癖なタイプではあるんですが、エヴァンへの突っ込み駄目だしの切れ味面白味はハンクの数倍で(笑)、こちらは十分に楽しめました。
・もう一人は何と言っても、ハンクメド立ち上げのきっかけにもなった重要人物、裏社会の大物ボリス
ロイヤル・ペインズボリス

、ロシア系かと思ったらドイツらしいんですけど、これもなかなか興味深い人物でした。
・ある種の"ファミリービジネス"を否応なく受け継ぎつつも、本人それほど積極的に"裏"ではないようなんですけど、ただ彼の"巻き込まれる"「裏」社会の人間関係や風景が妙にリアルで迫力があって。
ロベルト・バッジョ
...こっちはイタリア・サッカー界の"大物"ロベルト・バッジョ。ちょっと似てますよね。(笑)
・話戻してとにかくそういうのを見てると"主人公"二人のやや薄っぺらな描写は、意図的計画的なものなんだろうなということは、想像出来ます。
・厚く描こうとすれば描けるけれど、描かない。ドラマの"経済"の都合で。
・ただちょっと、やり過ぎたかなあと思います。抑制し過ぎたというか。
・毎回主に"患者"として登場するセレブたちもそれぞれ癖のある面白い人物揃いで、その誰を主人公にしてももっと面白くなった気がするんですけど(笑)、ハンクとエヴァンはあかんかったです。(笑)
・狙いだというのは分かるんですけどね、繰り返しになりますが。
・ある種触媒、"空虚な中心"としての主人公たちの周りに、色々と渦を巻かせようという。
・ただなあ、やっぱり主人公は主人公だからなあ。
「群像劇」とかならともかく、そういうわけでもないですし。

・ただ一つ、見落としというか"欠落"している要素として考えられるのは、上のDVDのジャケ写の撮り方などを見ても分かるように。
・アメリカ人的には、"ハンク"というのは「セクシー」な男性像、キャラクターなんですよね。
・そこが僕には全くピンと来ないので、そこから派生するものその"セクシー"さで許されるはずのハンクの退屈さが、許せなくなっている、そういう一面はあるかと。
・あんな男がいいんですか?(笑)。そりゃ娘の婿には安心かも知れないですけど。
・加えて言うならば、多分「空虚な主人公」だけだったら、そこまで気にならなかったんだろうと思います。
・ままありますからね、そういうのは。"主人公"というのは特別な存在で、必ずしも"能"で評価されるわけではない、脇とは違って。汎用の受け役を要求される傾向は確かにある。
・ただ問題は、そこに弟も出して来たこと、あからさまなカップリングで。
・それによって"性格"が二重に形式化されて、主人公としての精彩、主導力を必要以上に減じてしまった、そういう面はあるかなと。
"透明な主人公""二人一組の性格"も、テクニックとしては普通にあるわけなんですけど、それを「二重」に使ってしまったのが少しやり過ぎだったかなと。
・...まあ「透明」になってしまったのは結果論な気もするので、そういう意味では「二人一組」の人工性の方が、本源かなと思いますが。
・素朴な疑問ですけど、書いて(作って)いる人はエヴァンが好きなんですかね。好きじゃないエヴァンを悪平等的に"救って"しまったことで、性格描写が空転してしまったのかなとか、少し思いますが。

・まとめて非常にテクニカルな作品だと思います。職人的というか。
・あらゆるタイプの人あらゆる出来事を、そのどれにも過剰に肩入れせずに平等に描き、しかし「客観」の堅苦しさは感じさせずにあくまで軽い口当たりでさらっと提供する。
・さらっとし過ぎて若干流れて行ってしまうところもありましたが(笑)、しかし本来的には「コンシェルジュ医療」の世界を描くというしっかりした目的のある作品なんだろうと思います。
・そう思うのは上で言った"裏社会"に限らず「セレブ」の世界の描き方に非常に精彩があって、単なる"取材"とも勿論"ゴシップ"とも違う、「内部」的な視線が感じられるからですね。
・彼らなりの「日常」や「普通」を、"生きている"セレブたちの姿が見えるというか。
・相当深く、この素材に食い込んでいる人が描いている感じ。
・でも出来上がっているのは、非常に純度の高い「娯楽」作品、職人的な。それをよしとするかどうかで、好き嫌いが分かれるかなという。
・いい作品だと思うんですけどね、あんまり印象は強くないかな。(笑)


Posted on 2017/08/30 Wed. 20:55 [edit]

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『大草原の小さな家』(1974) 振り返り  

大草原


『大草原の小さな家』(FOXクラシック) (Wiki)

内容

19世紀末の西部開拓時代のアメリカ・ミネソタに住む、インガルス一家の日々を描いたファミリードラマ。
頼もしい父親チャールズを中心に、心優しい母親、大人びた長女メアリー、お転婆な次女ローラに、ふたりのライバルであるお嬢様のネリーや、学校の先生、町の人々などがからみ、心温まるエピソードが綴られていく。
シーズン9が終了した1983年に2時間スペシャルが1回、翌年1984年にも2回放送された。(公式)


・パイロット版が1話、本編が8シーズン182話、"新"として放映されたシーズン9が22話、"本物の"最終回を含むスペシャル版が3話の、合計208話です。
・沢山商品が出ていますが、上の"DVDコンプリートBOX"は、きちんとコンプリートしてあるようです。
・やっと全部見た・・・
・とりあえず掲げた画像はインガルス家の血縁関係者全員ですが、他に計3人の養子を取っています。
・のち結婚独立した次女ローラの"ワイルダー"家には、実子が一人と養子が一人。
・後はインガルス家と長女メアリーの世帯に、乳児の時に死んだ男の子が一人ずつ。

感想

・何から書こうかという感じですが。
・ある世代までの日本人ならほぼ全員知ってはいるでしょうけど、ちゃんと見た記憶のある人はどれくらいいるのか。
・迷いましたが結論として、「説明」はそこそこに書きたいことだけ書くことにします。(笑)

マイケル・ランドン("チャールズ・インガルス"こと)の功罪

・初期シリーズは本当に素晴らしかったです。
シーズン1第7話『オルガの靴』を録画してあったので見返してみましたが、やっぱり大泣きしてしまいました。(笑)
・ローラのクラスメートに生まれつき片足の悪いオルガという女の子がいるんですが、諦めている父親の反対を押し切って、インガルスパパチャールズが矯正靴を作ってあげる話。
・歩けるようになったオルガがチャールズパパに抱きつくシーンはたまらないです。
・人はこうあるべきだなと、素直に思います。
・僕らが信じた憧れた愛した"アメリカ"が、確かにここにはある。
・またオルガが健気なんですよね、物事を悪いようには取らないし、自立を妨げている父親のことも、ちゃんと愛している。
・実際には製作は1974年ですから、アメリカ文明の"残照"といったところかも知れませんが。
・最後の、そして最高の輝き。
・ベトナム戦争は終結前のどん詰まりで、アメリカ映画界には"ニューシネマ"の嵐が吹き荒れていたはずですが、まあリアルタイムの日本人は、ほとんどそんなことは気にしていなかったろうと思います。(笑)
・まだ「アメリカ」は、「アメリカ」だったはず。

・その"素晴らしきアメリカ"のイメージを一身に体現していた、我らがチャールズパパですが。

チャールズ

・ただそれを演じた、そして製作総指揮としてシリーズ全体を引っ張ったマイケル・ランドンという人は、なかなかクセの強い人で。
・まずユダヤ人なんですよね、イメージ全然無いでしょうけど。
・そのことが直接作品に影響している感じはとりあえず無いですが、ただ少ないですが"ユダヤ人差別"を扱った回ではさすがに"本気"度が高くて、それでおやっと思って調べて、彼がユダヤ人であることを知ったわけです。
・本当の意味での"影響"というなら、ユダヤ人という距離感があるから、逆に濁りの無い「理想のアメリカ」(白人的な)を演じられた、描き出そうとした、そういう可能性はあるかと思いますが。
・基本的にはローラ・インガルスの実話を基にした原作の良さを、素直に映像化しようとした、そういう性格がやはり一番強い作品と、そう感じます。そこまでクリティックに考える必要は無いかなと。

・それはそれとして僕が気になっていたのは。
・むしろ"映画人"としてのマイケル・ランドンの"意識の高さ"で。
無駄な、とは言いませんが。言いたくなる時もある。(笑)
・かなり初期からそれが出ているのは、マイケル・ランドンの「監督」回。
・もうね、開始数秒で分かるんですよ。あ、やべえ、今日"あれ"の回だと。(笑)
・撮り方が他の監督と全然違う。映画的。無駄に。(笑)
・"景色"ならともかく、「無生物」から入らないでくれよな。物言わぬものに何かを語らせようとかしないでくれ。
・いいんだよ電気紙芝居で。セリフで全部説明してくれ。"芸術"とか要らないから。
・エピソードもだいたい暗いんですよね。本人脚本による。アル中の黒人ボクサーの話とか。それを無理やり、『大草原』にぶっこんで来る。(笑)
・ほんとそういうのは参りました。
・そりゃ同時代のニューシネマとかを、意識するなというのも無理な話かも知れないですけど。
・それを『大草原の小さな家』でやらないで欲しい、作品の価値の証明の方向は、そっちには求めないで欲しい。
・プロテストソングを歌えばかっこいいと思っている、頭の悪いロックミュージシャンじゃないんだからさあ。
・ある時期以降はほとんどの回をマイケル・ランドン自身が監督するようになるので、さすがに功名心も鎮まったのか、演出自体は普通になって行くんですけどね。
・それでもたまに別の監督の回があると、マイケル・ランドン回とはやはり違うリラックス感があって。
・こっちが本来だよなあと、今更のように思ってしまうんですが。

・ともかく結局のところこれは"マイケル・ランドンの"作品ではあって。
・爆弾娘ローラの人気の支えは、欠かせないとしても。
・みんなの太陽チャールズパパを演じる俳優として支え、製作総指揮として恐らくはシリーズの存続そのものも支え。
・上では演出のことを言いましたが、実際には脚本も、途中からほとんどをマイケル・ランドンが担うようになります。
・そのせいと、それから長期シリーズ化による不可抗力的な自己対象化と、どっちの理由が大きいのかは微妙ですが。
・作品の質・ニュアンスも、徐々に変化して行きます。
・"あらすじ"だけ見ていても、そんなに違いは分からないかも知れませんけどね。
・同じく「あるべき人間の姿」や「理想のアメリカ」(人)を描いていても、初期にあった"天然"の輝きは失われていきます。
・おおむね貧しいアメリカ庶民の苦難に満ちた生活を描いている作品ではあるんですが。
苦しいなりにあった"安心"感や"祝福"感が失われ、一つ一つの社会的道徳的"問題"やその中での選択と、まともに直面する感じになっていきます。
「おとぎ話」だったものが「社会派」作品になったというか。
・原作自体が途中でそのように変化しているのか、それとも『童話』と分類されている原作の味わいの映像化のアプローチが、(知らず)変わって行ったのか。
・読んでないので確かなことは言えませんが、どちらかというと後者の理由が大きいのではないかと、そういう印象は受けますが。
・マイケル・ランドンへの"不信感"もあって。(笑)
・ストーリー的には、メアリー姉さんが失明するという残酷な出来事(シーズン4)は、やはり大きかったですかねえ。
「子供」時代の終わりというか。
・その限りではそれで性格が変わるのは、仕方の無いことだと思いますが。誰が作っても。
・その後のシーズン5からオリジナル・エピソードの割合が増えているらしいのは、変化の結果なのか原因なのか。
・まあ公平に言って、ぎりぎりシーズン4までが「原作」ベース、シーズン5以降は「マイケル・ランドン」と、そう区分けしておいてもいいかもしれませんけどね。
・僕自身はもっと前から、"マイケル・ランドン"濃度が高まると作品が変化することを気にしてはいましたが。
・...それにしても、"少女が通りすがりの変質者にレイプされる"エピソード(S7「ある少女」(前・後編))が飛び出した時は驚きました。その"リアル"要る?と思いました。
・最終的に感動的な話には、一応なってるんですけどね。勘弁して欲しかった。(笑)

・結論的に言うと、この作品の本当の価値は、初期シリーズの"ナイーブ"な美しさの中にあると思います。
・マイケル・ランドンが「大活躍」し出す前というか。
・その後はよく出来てはいても、よくある「家族愛」ドラマであり、「社会問題」を扱ったドラマであり。
・十分いい作品ではあるけれど、代わりはいくらでもある。
・勿論「大河」ストーリーとしてよく知る登場人物たちの"行く末"を見守る、長期シリーズ視聴者の楽しみは楽しみとしてあり続けたわけですけど。
・仮にマイケル・ランドンがいち俳優の分を守っていたら、どうだったんでしょうね。
・もっと味は保たれたのが、それとも逆にさっさと終わったのか。
・分かりませんが。
・とにかく僕はこの人には、複雑な感情を持っているということです。(笑)
・勿論「チャールズ・インガルス」は大好きですけどね。(笑)

長くなったので今日はここまで。
予定では全三回です。(笑)
次は各(名物)キャラクターについて、それぞれに書く予定。


Posted on 2017/10/19 Thu. 19:52 [edit]

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『大草原の小さな家』振り返り(その2) キャラクターたち  

その1はこちら


『新・大草原の小さな家』は、隠れた傑作?!



『新・大草原の小さな家』、または『大草原の小さな家』のシーズン9。(ラストシーズン)

前シリーズの象徴的存在であった父さんと母さんがほんの数回しか登場しないことや、大人になったローラにキャラクターとしての魅力が以前ほど無かったことなどから、視聴率は低迷し、わずか1シーズンで打ち切られた。


などとWikiにあったので、何なら見ないでいいかくらいに思ったりもしたんですが、いやいや、そんなことも。

確かにパパが去ってママが去って(ほぼ消えてる)"中心"不在感はありますし、一方で若干"今更"感のある(アイゼア)エドワーズおじさんがフル出場してたりしますし、"残党"が肩寄せ合って負け戦を懸命に戦ってるような侘しさも無くはないんですけど。
でも僕は上では悪く言われている"大人"になったローラ

大人ローラ

はあれはあれでかなり好きですし、シーズンの最後の最後になって飛びっきりの変わり者の大作家"モンタギュー"なんていう、シリーズの中でも屈指と言える印象的なキャラクターを投入してくるあたり、製作陣はむしろやる気満々だったのではないかと思います。大傑作だなどと言う気はないですが、普通に全然続きが見たかったですね僕は。

それはそれとして、"大人のローラ"が好きだ、ということについてもう少し言うと、逆に"子供のローラ"がそんなに好きじゃなかったということでもそれはあります。
お姉ちゃんの方が好きだった、という話はともかくとして(笑)、いくら何でも考え無しで突っ込み過ぎな場面が多くて、正直いらいらすることもありました。獣か!という。対オルソン母娘戦術兵器としてピンポイント投入する分にはまあいいんですけど、日常使用には不安定過ぎて。(笑)
ぶっちゃけ嘘つきですしね。(笑)

ただ知る限り、"大人"になる前のアメリカの"子供"(特に女の子?)というのは、現代でもそういう傾向があって、本当に底抜けに悪たれ(笑)。ところがそういう文化なんでしょう、逆にある日突然「獣」から「大人」に変身するんで、騙されたような気になることも多いんですよね。
日本の場合はそこらへんが曖昧で、まあまあいいコの「大人っぽい子供」が「子供っぽい大人」にスライドするみたいな、そういう傾向がありますけどね。
ローラの場合は単に利かん気というよりはそもそも人格の幹が太いですし、高等教育もちゃんと受けているので、"じゃじゃ馬ならし"の結果の「獣の活力を秘めたレディ」(笑)ぶりは、僕には十分に魅力的に見えました。

そして"じゃじゃ馬ならし"と言えばもう一人、オルソン家のネリーがいます。

ネリー

ネリーが(夫に)"ならされた"

ネリー夫婦

のはもっと前のシーズンですが、この第9シーズンには、今は離れて住む、すっかり道理の分かる大人の女性に成長したネリーが、ウォルナットグローブに帰郷してローラと再会するエピソードがあります。それがもう、最高で。
元町の子供たちの女ボスでいじめっ子のネリーと、正義感半分単純な負けん気半分で常にネリーと遣り合っていたローラが、お互いのそういう過去を完全に、物の見事に完全に総括して乗り越えて、ライバルとして喧嘩友達として、その"喧嘩"の拮抗関係すら純粋にいい思い出として爽やかに語り合う姿は、何ともたまりません。"中の人"たち個人の心情も加わっているんでしょう、二人の心底からの「幸福感」が伝わって来ます。
もうこのエピソードだけで、過去何シーズンかの低調なシーズン全体よりも、価値がある気がしますね。
この『新・大草原の小さな家』を、作った意味があるというか。


オルソン家の人たち

インガルス家の人たちが表現している善意や理想が、このドラマの核であることは言うまでもないですが、キャラクター表現、人物描写の妙味としては、むしろそれとしばしば敵対関係ないし悩みの種になった、オルソン家の人たちの方にあるように思います。
町一番(唯一?)の金持ち一家で、資本主義と上流主義と、インガルス家とは対照的な理念を体現していて、ありていに言えば町の平和を一人で乱している存在。
創作上必要な要素だと分かりつつも、「死ねばいいのに!」と何度思ったか。(笑)

ただ長く見ていればそれでも色々と気付くもので、名悪役(?)ハリエットおばさんも勿論なんですけど、特にその娘の上記意地悪ネリー役を演じている子役の女優さん(アリソン・アーングリン)は、これ多分えらい上手いんじゃないかなと、たまーに垣間見える知的な顔を見るにつけ、それを押し隠して延々ワンパターンの"バカ娘"役を演じ続ける苦労をしのんだりしていましたが。
"ネリー・オルソン"自体がどのように設定されていたのかは今一つよく分からないところがあって、金持ちの馬鹿娘だったのがしっかりした夫に出会って世間並みの常識を身に付けただけなのか、それとももっと複雑なキャラクターで、元々独自の美質も持っていた(と設定されている)のか。目に見えるネリーの行動そのものに弁護すべき点は特に無かったように記憶していますが(笑)、ただ(後の)夫に"教育"される過程で、それまで与えられなかった骨身に染みる忠言・説教を与えられた時に示した「感動」の素直さを見ると、ある程度は"サリバン先生に会う前のヘレン・ケラー"的な見方をしてあげてもいいのかな?という気もしますが。(笑)
"病根"が母親ハリエットにあって彼女はその被害者である面があること自体は誰の目にも明らかだったと思いますが、それだけでなくその"意地悪"の「勢い」にこめられたある種の明朗さというか、ローラと反対側の位置での"人格の幹の太さ"みたいなもの、それがあったから後にあれほど楽しく過去を振り返ることの出来る間柄になれた・・・とまで言ってしまうと、後知恵過ぎますか。(笑)
でもまあ、「欲望」自体は誰にでもあるものですし、たまたまそれを叶えられる位置にいた彼女がそれを叶えようとする"素直"な行動や、「こうした方が得だから」と他人を利用して毛ほども恥じない言動などに表れている子供ながらに突き抜けた「合理主義」には、ある種感動的なものがあった・・・ような気が・・・しないでもないような・・・あるような。(笑)
ともかく彼女の"変身"というのは、「人間」の可能性の表現として、かなり感動的なものであったのは確かだと思います。"大人"になった彼女に垣間見える"意地悪娘"の片鱗は、「茶目っ気」としてそれはもう、楽しいものですし。


そのネリーの弟のウィリーは、怖い姉に追随しているだけで根は結構善良なんじゃないかなというところは子供の時からあったと思いますが、それがある種予想通り期待通り、特に姉が家を出てからはめきめき"本来"の性格に目覚めてすこぶるいいやつになって

子供ウィリーウィリー


行ったのは、見てて嬉しかったですね。出来ればもう少し母親を押さえ込んで欲しかったような気はしますが、少なくとも"ネリー二世"義妹ナンシーの防波堤、視聴者のストレスの代弁役には、立派になってくれたと思います。
で、そのナンシーですが・・・。どうなんでしょうね(笑)。登場エピソードでの破天荒ぶりは面白かったですが、結果引き取られたオルソン家での振舞いを見ていると、ネリーには無かった性根の曲がり具合があって、どうも好きになれるところが無かったんですが彼女もネリーのように時間を与えられたら、変わってくれるんでしょうか。(笑)

とはいえオルソン家の最大の問題は、女主人ハリエット母さん

ハリエット

にあるのは明らかで。
誰よりもタチが悪いのに誰よりも自分を善良で素晴らしいと思っている、こういう人は実際いるし、"実際いる"ということを表現したくて作られたキャラではあるんだと思います。ある種「世間」代表ですしね、避けては通れない。「資本の論理」の体現者としても、時々鋭いことを言いますし。
だから憎まれても憎まれても、その役をやり続けなくてはならない、それは分かるんですけど。ただね、9シーズン10年の間に相当洒落にならない間違いも犯して、その都度一応反省して、"許され"て。にも関わらず結局最後まで何も変わらない、他の人が色々と変わる中で同じ振る舞いをし続けたのは、さすがにフィクションとはいえ違和感があって、段々一人だけキャラクターとしてのリアリティが失せて行ってしまった気はしますね。と同時に、"許されて"終わりという、ドラマの構造の基本的な甘さというか、"時代遅れ"感を表現してしまう羽目にも。
まあネリーが"変わった"ことを表現する為にも、ハリエットは"変わらない"必要はあったのかも知れないですけどね。ただもう、最後の方は、出て来ると時計の針が巻き戻されるというか、ドラマとしての緊張感が失われるから出て来ないで欲しいという感じに、僕はなってました。そもそも好感度が高いわけもありませんし。(笑)

どうしたら良かったんでしょうね。基本的には優れたキャラ・優れた演技だったとは思うんですけど。
やはり旦那の方がもう少し奮起して、そこで少なくとも「関係」を"変えて"行けば良かったのかな?、たまに嫌味を言うだけじゃなくて。(笑)
本人は変わらなくても。
・・・後はあれですね、アイゼアおじさんとの"野良犬(orチャボ)の喧嘩"シーンをもっと増やすとか(笑)。思えば彼女もネリー同様、"抑えて"くれる人がいない不幸は、背負っていた人なのかも知れません。


こんなところですかね。
アルバート(インガルス家に引き取られて来た元浮浪児の男の子)も好きだったんですけどね、ただ容姿端麗頭脳明晰のスペックの割には、今一つ気弱というか変な曲折もあったりして、輝き切れなかった感じ。
そもそも町で出会って"悪戯っ子"としてローラと意気投合した時は、てっきり"恋に落ちる"のかと思ってましたが(笑)。お似合いだったと思いますけど。(笑)
その点はその後に来たジェニー

ジェニー

の方が、素直に"美少女"ぶりを輝かせていて良かったと思います。本当に可愛らしくて賢くて、根性もあって、理想の娘or孫娘という感じ。
気の毒だったのは長女メアリーと次女ローラより下の、インガルス家の血の繋がった子供たちで。いた?という。(笑)
原作ではどうだったんでしょうね。ちょっとあり得ない、"消え"っぷりでしたが。(笑)

後は・・・そう、アルマンゾ(ローラの夫)が好きじゃなかったなあ。前世代のインガルスパパよりも脳筋で、融通が利かないというのはどうも。顔で選ぶなよローラ!というか。(笑)


次回最終回、「経済ドラマとしての『大草原の小さな家』」(仮)。



Posted on 2017/10/27 Fri. 19:23 [edit]

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『大草原の小さな家』振り返り(その3) "経済ドラマ"としての『大草原の小さな家』  

(その1)(その2)


大草原1

のどかな田舎町ウォルナットグローブといつも仲良しインガルス家の「日常」をつづったホームドラマである『大草原の小さな家』ですが、改めて見てみて驚くのは、その生活の苦しさです。・・・繰り返し訪れる"経済危機"というか。

パイロット版を含む初期ストーリーにおいては、当初は勿論、移住と開拓の困難が描かれるわけです。(インガルス家は一度定住しかかった土地を放棄して、再度移住して開拓したのがウォルナットグローブのある土地)
ただそれはこちらも織り込み済みというか、逆に欠かせない"エピソード"なわけです。"絵になる"困難というか。

もっと言うと、僕自身今回見直すまではそうでしたが、インガルス家の"貧しいけれど楽しい我が家"、「大草原の小さな家」ぶりというのは、それ自体一種の"ユートピア"的風景として、子供の頃このドラマを見た記憶のある人のイメージに刻まれていたはずです。

しかし・・・実態はそんなものではないんですよね。(笑)
もっと容赦なく貧しくて、むしろ"剥き出しの資本主義"と常に対決している、そういうドラマだと言ってしまうと少し興醒めが過ぎましょうか。
基本は農業、小麦生産なんですが、しょっちゅう不作ないし壊滅的な年はあるし、無事収穫出来たからと言ってまともな値段で売れるとは限らないし、鉄道は邪魔をするし、他にも何やかやと不可抗力的な災難は訪れるしで、「またかよ」という頻度で一家飢え死に級の危機が訪れて、実際何回か転居や耕作放棄をしています。
最後にはとうとう町ごと買収されてしまって住民は追い出され、それが超衝撃のラストに繋がるわけですが、それはまあ見てない人の為に黙っておきます。(笑)

見てて本当に絶望的な気持ちになるのは、チャールズパパは飛び切りの働き者で、有能な農民であり材木業や運送業の副業でリスク分散もし、個人的に腕利きの家具職人でもあって、やれることは全部やっているわけです。にも関わらず、ある日突然全く食えなくなる危険と常に隣り合わせの生活、人生を強いられていて、老年になって何度目かの破産の危機には、「もう疲れたよ」とさすがに弱音を吐いて町を捨て、都会での雇われ人の生活に転ずるわけです。(当然そこでもまた苦労が待っている)

大草原2


本当にこんななのかと信じたくないような気持ちにもなりますが、例えばこの前読んだカナダ史の本



には、こんな記述がありました。

p.228

土質が多様で寒暖の差が激しく、降雨量と小麦価格も不安定だった小麦耕作は、なお「危険なギャンブル」であり、


時期としては1900年代、『大草原』の舞台となっている1870年代から1880年代(Wiki)からは、2,30年下った時期ですね。「危険なギャンブル」と「」が付いているのは、単に著者が危険だと言っているのではなくて、"「危険なギャンブル」"だと当時の人が認識していたということでしょうね。
場所的にはカナダの"プレーリー"地帯、ウォルナットグローブのあるミネソタ州は勿論、他に一家が住んだことのあるウィスコンシン、カンザス、サウスダコタ、全てこの"プレーリー"のアメリカ側に含まれます(合衆国の州一覧)。ミネソタはずばりカナダと国境を接している州ですし、つまりほぼ同一地域の話ですね。

アメリカ全土がこんなんではやって行けないだろうという気もするので、開拓民特有の苦しさや、カナダに近いくらいで雪も降る比較的寒冷な北西部ならではの苦しさなども、あったのかも知れないとは思いますが。
それでも"穀倉地帯"ではあるんですよね、一方で。

p.230

農民への貸付には特別の高金利を課すのが普通であり、プレーリー農民は銀行を、鉄道とならぶ最大の敵とみなしていた。


ああ、という感じ。
ウォルナットグローブの銀行家は、悪い人ではなかったようですが。ただ余り積極的な融資の意思があったようには、やはり見えませんでしたね。
金利が高いというのは要するにリスクが高い、利が薄い、まともな融資相手とはみなされていなかったということで。この時代は工業に対しても同じような態度を銀行は取っていて、専ら商業金融の為に存在していたとのこと。
鉄道が敵視されるのは、なけなしの販路や市場を滅茶苦茶にされるからですね、そういうシーンが作中でも何回かありましたが。地産地消を破壊されるというか。(笑)


そしてこういう生活手段の不安定さそのものもさることながら、見ていてぞっとするのはそれに対する"救済"の道が全くと言っていい程用意されていないこと。ぶっちゃけ仲間内の"親切"くらいしか無い。
銀行は勿論役に立たないし、組合はあることはあるようですが至って非力でまたその組織力は田舎町レベルまでは機能していないようですし、独占資本家の横暴を止める手段は事実上無いようですし。
要は公的なものがほとんど整備されていないわけですね、所謂「マスコミ世論」的なものも含めて。個々が散発的に自衛するしかない。勿論「社会保障」のようなものは、まるで見当たらない

そういう世界の怖さと言ったらね。チャールズパパのどんな「自助努力」も、根本的な基盤の弱さシステムの未整備の前では、所詮無力。
それを実感させてくれる、今日我々が当たり前に享受している社会システム、民主主義やマスコミの監視機能や独占禁止法や、組合や多様な金融・資金調達システムやそして各種社会保障がどんなにありがたいか、もうしそうしたものが無ければ、どれだけ個人の努力ではどうにもならない不安な生活を人間が送ることになるのかを教えてくれるドラマと、そういう言い方も出来るかも知れません。19世紀末のアメリカ農民の姿を通して。

したくはないんですが、別に(笑)。最初に言ったように、目的は、ドラマの最大の持ち味は、あくまで家族ユートピアのフェアリーテイルなわけで。
ただ事実として避け難くそういう要素はある。そりゃマイケル・ランドンも意識高くなるわなというところではあります。その"意識"は社会主義的な方向を向いているようでもあり、あるいはクエーカー教徒的な反文明的農業ユートピアの方を向いているようでもあり。
真面目な話、このドラマで描かれる野放しの貨幣経済の残酷さや、ウォルナットグローブと比較してのたまに出て来る「都市」の猥雑さを見ていると、クエーカーコミュニティ的なものの成立の必然性が、変にリアリティを持って感じられたりします。まっぴらごめんだ、いち抜けたと。
勿論現代の我々は、もう少し文明生活の"メリット"の方を、より多く享受しているわけですけどね。


逆に様々な"資本主義"や近代的諸システムの萌芽の様子なども見ることが出来るわけで、あんまり楽しい見方ではないかもしれませんが(笑)、"今"ないし"今更"『大草原の小さな家』を見るという行為の、一つの意義や"売り"として、「経済ドラマとしての『大草原の小さな家』」という売り方薦め方は、実は真面目にありかなとも思います。(笑)

いやあ、見てみなければ分かんないものですよ。
こんなんなってたとは。
以上で大草原の振り返り、おしまい。


Posted on 2017/11/30 Thu. 20:12 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(アメリカ)

thread: 海外ドラマ(欧米) - janre: テレビ・ラジオ

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あくまで"アメリカ人用"の作品 ~『将軍 SHOGUN』(1980)  

年末年始のサッカーとバレーの細々とした試合を見る為に、今"プレミアム15"で契約しています。
その数合わせ(笑)で契約した"時代劇専門チャンネル"で見れました。





『将軍 SHOGUN』(時代劇専門チャンネル) (Wiki)

内容

乗船していたオランダ商船の難破により、伊豆に流れ着いたイギリス人航海士ジョン・ブラックソーン(リチャード・チェンバレン)。
折しも日本では、有力大名たちが天下を争っており、将軍の座を狙う東の虎長、西の石堂に勢力が二分されていた。見知らぬ異国でブラックソーンは、壮絶な覇権争いに巻き込まれていく。
そして日本について学ぶため、侍の妻まり子と接するようになったブラックソーンは、次第に彼女を深く愛するようになる。やがて虎長に目をかけられるようになり、外国人として初めて侍の身分を与えられるのだが…。(公式)


感想

・日本側出演者以外は、原作も監督も脚本も、全てアメリカ人の手になる作品。
・子供の時に見た時は、日本についての珍妙な風俗描写が散りばめられた変に残酷な作品という印象しか無かったんですが。
・あとは"まり子"役が、当初の予定の「ジュディ・オング」から「島田陽子」に変更されたことについての、大人たちのがっかり感。(笑)
島田陽子の入浴シーンなんていつでも見れるわ!ジュディ・オングを見せろジュディ・オングを!という。(笑)
・Wikiによると出演の決まっていたジュディ・オングが、「「魅せられて」が日本レコード大賞を狙える大ヒットとなったことで出演を辞退した」という、そういう前後関係だったそうですが。
・結果的には島田陽子で良かったと思います、後で言いますが。
・全6話。

・さて見返しての感想ですが。
・"風俗が珍妙"なのは変わらず。
・やたらハードルの低い「切り捨て御免」「切腹」と言った、"侍"文化の誇張。ついでに一介の村人まで武術の達人であるという、東洋幻想。(笑)
・唐突に出て来る「釜茹で」や、手漕ぎ船一般をガレー船(奴隷船)と同一視する、これははっきり言って"野蛮"視
・妙に性的にオープンな武家の子女や、逆に妙に社会的に地位の高い遊女といった、恐らくは日本人が"南国"に抱くような(性的)ユートピア期待
・一番真面目に問題だったのは、"敬語"のカジュアルなのか格式張ってるのかよく分からない混乱した使用で、これは作品の「内容」に関わって来るので、もうちょっとちゃんと考証すべきだったかなと。
・ただこういう日本人の目からはおかしく見える一つ一つではありますが、それでもアメドラに氾濫する"中国との混同"のような根っからいい加減なものではなく。
・それなりに「理解」の努力をしながら個別のディテールで知識の限界があるという、そういう性格のもので。
・例えば目黒祐樹演じる、最初はブラックソーンに放尿の屈辱を与えたりする伊豆の現地責任者的な侍を、厳格ではあるけれどそれは彼なりの秩序意識に基づいたもので、決して単なるサディスティックな動機によるものてはなく道理を理解すれば話の通じる相手だと描写していたあたりは。
・作者の"真剣味"を感じました。

・総じて日本人の目におかしく見えるのは避けられなくて、それによってこちらの"真剣味"が(笑)しばしば削がれるのは致し方ないところではあるんですが。
・ただ忘れていけないのはこれがアメリカ人によってアメリカ人が見る為に作られたものだということで。
・そのレベルで言えば、許容範囲というか完全に"間違っている"というわけでもない、そういうタイプのおかしさとは言えるかなと。
・逆に日本人が他国の文化を描写する時に、どれくらいのギャグをかましてるのか、その国の人に聞いてみないと分からないわけですし。
・まあこんな話もありますしね。

・これをもって銀英伝が不真面目な作品だ増して下らない作品だとされてしまうと、かなり辛いわけで。
・そもそも"日本人"用だから、許してよという。(笑)

・真面目な話、これは本当に真剣な作品で。
・様々な"誤解"も含めての日本文化への憧れと理解の努力、それを欧米文化と比較して取り入れようとする努力。
・特に中心となっているのは所謂「無常観」で、『生きるのも死ぬのも同じ』みたいな言葉が形を変えて何回も何回も出て来て、最初は何だろうと思ってたんですが。
・正直使い方としては唐突というか、場面と比べて重過ぎて意味不明なことは少なからずありましたが。
・ただその種の「諦観」や「潔さ」に作者が本気で感銘を受けていてそれが西洋には無い、日本の精神性の高さだと考えているのは伝わって来ました。
・"武士道"と重なるところはありますが、もう少し広範な精神性の問題として考えているように見えましたね。直接仏教が出て来たりはしませんでしたが。
・逆に日本人の目から見ると、むしろキリスト教の"神の思し召し"運命論で代用出来る部分も少なからずあるように見えたりしたんですが、あくまで日本固有のものと、作者は捉えているようでした。

・というわけで日本人としては「納得」するまではなかなか難しいところはあるとしても、"異文化理解"を真剣に試みたドラマ/作品であるのは確かで。
・アメリカで高い評価を受けたことは、そんなにとんちんかんなことではないかなと。
・ちなみにエミー賞ミニシリーズ部門とゴールデングローブ賞で、共に作品賞受賞。
・"日本人"的な感動ポイントとしては、島田陽子の演技ですかね。
・ひょっとしてほんとにリチャード・チェンバレンとデキてたんじゃないかと思うくらい(笑)、中世末期の日本人女性が漂着した英国人男性を愛するようになる姿を、リアリティを持って演じていました。
・根本には"英語も堪能なクリスチャン女性"という特殊性があるはずなんですが、それよりも「日本人」が「日本人」として、引くべき線はきっちり引きつつ、しかし愛し受け入れる姿が説得力を持って描かれていたと思います。
・そこらへんは「恋愛」の普遍性ということもあるでしょうが、"ドラマ"としての基本的な質の良さというものが見られるところと言うべきで、特に日本人が絡まない外国人どうしの場面はなかなかの迫力で、これが本来の実力なんだろうなという感じ。
・とにかくジュディ・オングでは、こうは行かなかったと思います(笑)。バタ臭過ぎるし。島田陽子は適役でした。

・というわけでお勧めするかしないかは微妙な感じではありますが。日本人には。(笑)
・風変わりなアメリカ・ドラマとしてなら、見てみるのも一興かと。
・ちなみにナレーションはオーソン・ウェルズです(笑)。隠れた豪華キャスト。(笑)


Posted on 2017/12/27 Wed. 20:07 [edit]

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