死ぬまで海外ドラマ(死ぬ海)

アメリカ、イギリス、中国と欧州各国のドラマ。

『大草原の小さな家』振り返り(その2) キャラクターたち  

その1はこちら


『新・大草原の小さな家』は、隠れた傑作?!



『新・大草原の小さな家』、または『大草原の小さな家』のシーズン9。(ラストシーズン)

前シリーズの象徴的存在であった父さんと母さんがほんの数回しか登場しないことや、大人になったローラにキャラクターとしての魅力が以前ほど無かったことなどから、視聴率は低迷し、わずか1シーズンで打ち切られた。


などとWikiにあったので、何なら見ないでいいかくらいに思ったりもしたんですが、いやいや、そんなことも。

確かにパパが去ってママが去って(ほぼ消えてる)"中心"不在感はありますし、一方で若干"今更"感のある(アイゼア)エドワーズおじさんがフル出場してたりしますし、"残党"が肩寄せ合って負け戦を懸命に戦ってるような侘しさも無くはないんですけど。
でも僕は上では悪く言われている"大人"になったローラ

大人ローラ

はあれはあれでかなり好きですし、シーズンの最後の最後になって飛びっきりの変わり者の大作家"モンタギュー"なんていう、シリーズの中でも屈指と言える印象的なキャラクターを投入してくるあたり、製作陣はむしろやる気満々だったのではないかと思います。大傑作だなどと言う気はないですが、普通に全然続きが見たかったですね僕は。

それはそれとして、"大人のローラ"が好きだ、ということについてもう少し言うと、逆に"子供のローラ"がそんなに好きじゃなかったということでもそれはあります。
お姉ちゃんの方が好きだった、という話はともかくとして(笑)、いくら何でも考え無しで突っ込み過ぎな場面が多くて、正直いらいらすることもありました。獣か!という。対オルソン母娘戦術兵器としてピンポイント投入する分にはまあいいんですけど、日常使用には不安定過ぎて。(笑)
ぶっちゃけ嘘つきですしね。(笑)

ただ知る限り、"大人"になる前のアメリカの"子供"(特に女の子?)というのは、現代でもそういう傾向があって、本当に底抜けに悪たれ(笑)。ところがそういう文化なんでしょう、逆にある日突然「獣」から「大人」に変身するんで、騙されたような気になることも多いんですよね。
日本の場合はそこらへんが曖昧で、まあまあいいコの「大人っぽい子供」が「子供っぽい大人」にスライドするみたいな、そういう傾向がありますけどね。
ローラの場合は単に利かん気というよりはそもそも人格の幹が太いですし、高等教育もちゃんと受けているので、"じゃじゃ馬ならし"の結果の「獣の活力を秘めたレディ」(笑)ぶりは、僕には十分に魅力的に見えました。

そして"じゃじゃ馬ならし"と言えばもう一人、オルソン家のネリーがいます。

ネリー

ネリーが(夫に)"ならされた"

ネリー夫婦

のはもっと前のシーズンですが、この第9シーズンには、今は離れて住む、すっかり道理の分かる大人の女性に成長したネリーが、ウォルナットグローブに帰郷してローラと再会するエピソードがあります。それがもう、最高で。
元町の子供たちの女ボスでいじめっ子のネリーと、正義感半分単純な負けん気半分で常にネリーと遣り合っていたローラが、お互いのそういう過去を完全に、物の見事に完全に総括して乗り越えて、ライバルとして喧嘩友達として、その"喧嘩"の拮抗関係すら純粋にいい思い出として爽やかに語り合う姿は、何ともたまりません。"中の人"たち個人の心情も加わっているんでしょう、二人の心底からの「幸福感」が伝わって来ます。
もうこのエピソードだけで、過去何シーズンかの低調なシーズン全体よりも、価値がある気がしますね。
この『新・大草原の小さな家』を、作った意味があるというか。


オルソン家の人たち

インガルス家の人たちが表現している善意や理想が、このドラマの核であることは言うまでもないですが、キャラクター表現、人物描写の妙味としては、むしろそれとしばしば敵対関係ないし悩みの種になった、オルソン家の人たちの方にあるように思います。
町一番(唯一?)の金持ち一家で、資本主義と上流主義と、インガルス家とは対照的な理念を体現していて、ありていに言えば町の平和を一人で乱している存在。
創作上必要な要素だと分かりつつも、「死ねばいいのに!」と何度思ったか。(笑)

ただ長く見ていればそれでも色々と気付くもので、名悪役(?)ハリエットおばさんも勿論なんですけど、特にその娘の上記意地悪ネリー役を演じている子役の女優さん(アリソン・アーングリン)は、これ多分えらい上手いんじゃないかなと、たまーに垣間見える知的な顔を見るにつけ、それを押し隠して延々ワンパターンの"バカ娘"役を演じ続ける苦労をしのんだりしていましたが。
"ネリー・オルソン"自体がどのように設定されていたのかは今一つよく分からないところがあって、金持ちの馬鹿娘だったのがしっかりした夫に出会って世間並みの常識を身に付けただけなのか、それとももっと複雑なキャラクターで、元々独自の美質も持っていた(と設定されている)のか。目に見えるネリーの行動そのものに弁護すべき点は特に無かったように記憶していますが(笑)、ただ(後の)夫に"教育"される過程で、それまで与えられなかった骨身に染みる忠言・説教を与えられた時に示した「感動」の素直さを見ると、ある程度は"サリバン先生に会う前のヘレン・ケラー"的な見方をしてあげてもいいのかな?という気もしますが。(笑)
"病根"が母親ハリエットにあって彼女はその被害者である面があること自体は誰の目にも明らかだったと思いますが、それだけでなくその"意地悪"の「勢い」にこめられたある種の明朗さというか、ローラと反対側の位置での"人格の幹の太さ"みたいなもの、それがあったから後にあれほど楽しく過去を振り返ることの出来る間柄になれた・・・とまで言ってしまうと、後知恵過ぎますか。(笑)
でもまあ、「欲望」自体は誰にでもあるものですし、たまたまそれを叶えられる位置にいた彼女がそれを叶えようとする"素直"な行動や、「こうした方が得だから」と他人を利用して毛ほども恥じない言動などに表れている子供ながらに突き抜けた「合理主義」には、ある種感動的なものがあった・・・ような気が・・・しないでもないような・・・あるような。(笑)
ともかく彼女の"変身"というのは、「人間」の可能性の表現として、かなり感動的なものであったのは確かだと思います。"大人"になった彼女に垣間見える"意地悪娘"の片鱗は、「茶目っ気」としてそれはもう、楽しいものですし。


そのネリーの弟のウィリーは、怖い姉に追随しているだけで根は結構善良なんじゃないかなというところは子供の時からあったと思いますが、それがある種予想通り期待通り、特に姉が家を出てからはめきめき"本来"の性格に目覚めてすこぶるいいやつになって

子供ウィリーウィリー


行ったのは、見てて嬉しかったですね。出来ればもう少し母親を押さえ込んで欲しかったような気はしますが、少なくとも"ネリー二世"義妹ナンシーの防波堤、視聴者のストレスの代弁役には、立派になってくれたと思います。
で、そのナンシーですが・・・。どうなんでしょうね(笑)。登場エピソードでの破天荒ぶりは面白かったですが、結果引き取られたオルソン家での振舞いを見ていると、ネリーには無かった性根の曲がり具合があって、どうも好きになれるところが無かったんですが彼女もネリーのように時間を与えられたら、変わってくれるんでしょうか。(笑)

とはいえオルソン家の最大の問題は、女主人ハリエット母さん

ハリエット

にあるのは明らかで。
誰よりもタチが悪いのに誰よりも自分を善良で素晴らしいと思っている、こういう人は実際いるし、"実際いる"ということを表現したくて作られたキャラではあるんだと思います。ある種「世間」代表ですしね、避けては通れない。「資本の論理」の体現者としても、時々鋭いことを言いますし。
だから憎まれても憎まれても、その役をやり続けなくてはならない、それは分かるんですけど。ただね、9シーズン10年の間に相当洒落にならない間違いも犯して、その都度一応反省して、"許され"て。にも関わらず結局最後まで何も変わらない、他の人が色々と変わる中で同じ振る舞いをし続けたのは、さすがにフィクションとはいえ違和感があって、段々一人だけキャラクターとしてのリアリティが失せて行ってしまった気はしますね。と同時に、"許されて"終わりという、ドラマの構造の基本的な甘さというか、"時代遅れ"感を表現してしまう羽目にも。
まあネリーが"変わった"ことを表現する為にも、ハリエットは"変わらない"必要はあったのかも知れないですけどね。ただもう、最後の方は、出て来ると時計の針が巻き戻されるというか、ドラマとしての緊張感が失われるから出て来ないで欲しいという感じに、僕はなってました。そもそも好感度が高いわけもありませんし。(笑)

どうしたら良かったんでしょうね。基本的には優れたキャラ・優れた演技だったとは思うんですけど。
やはり旦那の方がもう少し奮起して、そこで少なくとも「関係」を"変えて"行けば良かったのかな?、たまに嫌味を言うだけじゃなくて。(笑)
本人は変わらなくても。
・・・後はあれですね、アイゼアおじさんとの"野良犬(orチャボ)の喧嘩"シーンをもっと増やすとか(笑)。思えば彼女もネリー同様、"抑えて"くれる人がいない不幸は、背負っていた人なのかも知れません。


こんなところですかね。
アルバート(インガルス家に引き取られて来た元浮浪児の男の子)も好きだったんですけどね、ただ容姿端麗頭脳明晰のスペックの割には、今一つ気弱というか変な曲折もあったりして、輝き切れなかった感じ。
そもそも町で出会って"悪戯っ子"としてローラと意気投合した時は、てっきり"恋に落ちる"のかと思ってましたが(笑)。お似合いだったと思いますけど。(笑)
その点はその後に来たジェニー

ジェニー

の方が、素直に"美少女"ぶりを輝かせていて良かったと思います。本当に可愛らしくて賢くて、根性もあって、理想の娘or孫娘という感じ。
気の毒だったのは長女メアリーと次女ローラより下の、インガルス家の血の繋がった子供たちで。いた?という。(笑)
原作ではどうだったんでしょうね。ちょっとあり得ない、"消え"っぷりでしたが。(笑)

後は・・・そう、アルマンゾ(ローラの夫)が好きじゃなかったなあ。前世代のインガルスパパよりも脳筋で、融通が利かないというのはどうも。顔で選ぶなよローラ!というか。(笑)


次回最終回、「経済ドラマとしての『大草原の小さな家』」(仮)。



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Posted on 2017/10/27 Fri. 19:23 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(アメリカ)

thread: 海外ドラマ(欧米) - janre: テレビ・ラジオ

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コメント

この物語の総評を書くならもう少しきちんと何度も視聴すべきだと思います。
文章も若干稚拙です。

URL |  #-
2021/03/04 14:02 | edit

具体的に何かまずいのか、僕が書いたどこらへんに異議があるのか、書いてくれないとただのいちゃもん&悪口だと思いますが。
"何度"視聴したらではOKなのか、"若干"稚拙なくらいならむしろいいじゃないかとか(笑)、こういうくだらないツッコミくらいしか返せません。
再訪を期待します。

URL | アト #/HoiMy2E
2021/03/04 18:04 | edit

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