死ぬまで海外ドラマ(死ぬ海)

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『大草原の小さな家』振り返り(その3) "経済ドラマ"としての『大草原の小さな家』  

(その1)(その2)


大草原1

のどかな田舎町ウォルナットグローブといつも仲良しインガルス家の「日常」をつづったホームドラマである『大草原の小さな家』ですが、改めて見てみて驚くのは、その生活の苦しさです。・・・繰り返し訪れる"経済危機"というか。

パイロット版を含む初期ストーリーにおいては、当初は勿論、移住と開拓の困難が描かれるわけです。(インガルス家は一度定住しかかった土地を放棄して、再度移住して開拓したのがウォルナットグローブのある土地)
ただそれはこちらも織り込み済みというか、逆に欠かせない"エピソード"なわけです。"絵になる"困難というか。

もっと言うと、僕自身今回見直すまではそうでしたが、インガルス家の"貧しいけれど楽しい我が家"、「大草原の小さな家」ぶりというのは、それ自体一種の"ユートピア"的風景として、子供の頃このドラマを見た記憶のある人のイメージに刻まれていたはずです。

しかし・・・実態はそんなものではないんですよね。(笑)
もっと容赦なく貧しくて、むしろ"剥き出しの資本主義"と常に対決している、そういうドラマだと言ってしまうと少し興醒めが過ぎましょうか。
基本は農業、小麦生産なんですが、しょっちゅう不作ないし壊滅的な年はあるし、無事収穫出来たからと言ってまともな値段で売れるとは限らないし、鉄道は邪魔をするし、他にも何やかやと不可抗力的な災難は訪れるしで、「またかよ」という頻度で一家飢え死に級の危機が訪れて、実際何回か転居や耕作放棄をしています。
最後にはとうとう町ごと買収されてしまって住民は追い出され、それが超衝撃のラストに繋がるわけですが、それはまあ見てない人の為に黙っておきます。(笑)

見てて本当に絶望的な気持ちになるのは、チャールズパパは飛び切りの働き者で、有能な農民であり材木業や運送業の副業でリスク分散もし、個人的に腕利きの家具職人でもあって、やれることは全部やっているわけです。にも関わらず、ある日突然全く食えなくなる危険と常に隣り合わせの生活、人生を強いられていて、老年になって何度目かの破産の危機には、「もう疲れたよ」とさすがに弱音を吐いて町を捨て、都会での雇われ人の生活に転ずるわけです。(当然そこでもまた苦労が待っている)

大草原2


本当にこんななのかと信じたくないような気持ちにもなりますが、例えばこの前読んだカナダ史の本



には、こんな記述がありました。

p.228

土質が多様で寒暖の差が激しく、降雨量と小麦価格も不安定だった小麦耕作は、なお「危険なギャンブル」であり、


時期としては1900年代、『大草原』の舞台となっている1870年代から1880年代(Wiki)からは、2,30年下った時期ですね。「危険なギャンブル」と「」が付いているのは、単に著者が危険だと言っているのではなくて、"「危険なギャンブル」"だと当時の人が認識していたということでしょうね。
場所的にはカナダの"プレーリー"地帯、ウォルナットグローブのあるミネソタ州は勿論、他に一家が住んだことのあるウィスコンシン、カンザス、サウスダコタ、全てこの"プレーリー"のアメリカ側に含まれます(合衆国の州一覧)。ミネソタはずばりカナダと国境を接している州ですし、つまりほぼ同一地域の話ですね。

アメリカ全土がこんなんではやって行けないだろうという気もするので、開拓民特有の苦しさや、カナダに近いくらいで雪も降る比較的寒冷な北西部ならではの苦しさなども、あったのかも知れないとは思いますが。
それでも"穀倉地帯"ではあるんですよね、一方で。

p.230

農民への貸付には特別の高金利を課すのが普通であり、プレーリー農民は銀行を、鉄道とならぶ最大の敵とみなしていた。


ああ、という感じ。
ウォルナットグローブの銀行家は、悪い人ではなかったようですが。ただ余り積極的な融資の意思があったようには、やはり見えませんでしたね。
金利が高いというのは要するにリスクが高い、利が薄い、まともな融資相手とはみなされていなかったということで。この時代は工業に対しても同じような態度を銀行は取っていて、専ら商業金融の為に存在していたとのこと。
鉄道が敵視されるのは、なけなしの販路や市場を滅茶苦茶にされるからですね、そういうシーンが作中でも何回かありましたが。地産地消を破壊されるというか。(笑)


そしてこういう生活手段の不安定さそのものもさることながら、見ていてぞっとするのはそれに対する"救済"の道が全くと言っていい程用意されていないこと。ぶっちゃけ仲間内の"親切"くらいしか無い。
銀行は勿論役に立たないし、組合はあることはあるようですが至って非力でまたその組織力は田舎町レベルまでは機能していないようですし、独占資本家の横暴を止める手段は事実上無いようですし。
要は公的なものがほとんど整備されていないわけですね、所謂「マスコミ世論」的なものも含めて。個々が散発的に自衛するしかない。勿論「社会保障」のようなものは、まるで見当たらない

そういう世界の怖さと言ったらね。チャールズパパのどんな「自助努力」も、根本的な基盤の弱さシステムの未整備の前では、所詮無力。
それを実感させてくれる、今日我々が当たり前に享受している社会システム、民主主義やマスコミの監視機能や独占禁止法や、組合や多様な金融・資金調達システムやそして各種社会保障がどんなにありがたいか、もうしそうしたものが無ければ、どれだけ個人の努力ではどうにもならない不安な生活を人間が送ることになるのかを教えてくれるドラマと、そういう言い方も出来るかも知れません。19世紀末のアメリカ農民の姿を通して。

したくはないんですが、別に(笑)。最初に言ったように、目的は、ドラマの最大の持ち味は、あくまで家族ユートピアのフェアリーテイルなわけで。
ただ事実として避け難くそういう要素はある。そりゃマイケル・ランドンも意識高くなるわなというところではあります。その"意識"は社会主義的な方向を向いているようでもあり、あるいはクエーカー教徒的な反文明的農業ユートピアの方を向いているようでもあり。
真面目な話、このドラマで描かれる野放しの貨幣経済の残酷さや、ウォルナットグローブと比較してのたまに出て来る「都市」の猥雑さを見ていると、クエーカーコミュニティ的なものの成立の必然性が、変にリアリティを持って感じられたりします。まっぴらごめんだ、いち抜けたと。
勿論現代の我々は、もう少し文明生活の"メリット"の方を、より多く享受しているわけですけどね。


逆に様々な"資本主義"や近代的諸システムの萌芽の様子なども見ることが出来るわけで、あんまり楽しい見方ではないかもしれませんが(笑)、"今"ないし"今更"『大草原の小さな家』を見るという行為の、一つの意義や"売り"として、「経済ドラマとしての『大草原の小さな家』」という売り方薦め方は、実は真面目にありかなとも思います。(笑)

いやあ、見てみなければ分かんないものですよ。
こんなんなってたとは。
以上で大草原の振り返り、おしまい。


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Posted on 2017/11/30 Thu. 20:12 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(アメリカ)

thread: 海外ドラマ(欧米) - janre: テレビ・ラジオ

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