死ぬまで海外ドラマ(死ぬ海)

アメリカ、イギリス、中国と欧州各国のドラマ。

映画版『ファーゴ』(1996) & ドラマ版『FARGO/ファーゴ』(2014)  

映画版も見てみたのでまとめて。
読み手としては、ドラマ版(のみ)を見た人を主に想定しています。



『ファーゴ』(映画.com) (Wiki)

内容

コーエン兄弟が贈る、ブラックユーモアをちりばめた異色のクライム・サスペンス。
厚い雪に覆われるミネソタ州ファーゴ。多額の借金を抱える自動車ディーラーのジェリーは、妻ジーンを偽装誘拐して彼女の裕福な父親から身代金をだまし取ろうと企てる。ところが誘拐を請け負った2人の男が警官と目撃者を射殺してしまい、事件は思わぬ方向へ発展していく……。


感想

・ストーリー的には、ドラマ版シーズン1から"殺し屋マルヴォ"の部分をごっそり抜いたくらいの内容。
・ただドラマ版の中心人物で印象的な"妊婦の女警察署長"も、マルヴォに殺しを依頼する(形になった)"嫁に頭の上がらない気弱な営業マン"も、名前等細部は違いますが役柄としてはちゃんと出て来るので。
・うっかりこれをこのままドラマ化したのがシーズン1かなと思うくらい、違和感は無いです。
・ドラマでは"ファーゴ"は「謎の犯罪組織の符牒」みたいな出方をしていましたが、映画では特に。
・上の"紹介文"を読んで、町の名前だったっけ、そうだったっけか?みたいな感じ。(笑)
・ドラマの方はとにかく"マルヴォ"の印象が強烈で、やたらめったらかつ簡単に人が死ぬ、一種の"バイオレンス"作品みたいな風情もありましたが。
・映画版は"気弱な営業マン"の方が中心で、彼のやるせない日常とそこでも主導権を取れない気弱で(笑)粗忽な犯罪計画の、あれよあれよの成り行きの"結果"、気が付くと人が沢山死んでいるという感じ。
・マルヴォの「意志」が無い分、より"成り行き"感が強いというか。
・ただ全体として表現されていることは、特に違いが無い感じで。
・人生は基本ク〇だということと、同じことですがこの世で起きること(例えば殺人)は、何か理由があって起きるのではなくてただ起きるのだという、一種の無常観。
・ドラマ版ではマルヴォの殺しの一つ一つの動機や葛藤の"薄さ"という形で、それが表現されていたんですが。
・映画版では言ったようにより成り行き感が強く、かつ一つ一つの"成り行き"は結構不可抗力的で犯人に同情しないでもない感じで、結果殺してしまう人殺されてしまう人、双方に"哀れみ"をより感じられる構造になっています。
・一応最後に女署長が、逮捕した犯人に向かって「そんな簡単に人を殺しちゃって。人生はもっと価値のあるものよ」的な説教をかます場面はあるんですが、どこまで本気なんだかという感じ。
・女署長の「生活感」自体は、確かに一つの"良識"として、機能していないことはないんですけどね。

・長さ的には100分弱で、ドラマ版を先に見てしまうと割りとあっさり終わるんだなという印象。
・それもあって全体が一編の詩というか短歌というか(笑)、"もののあはれ"的なそういう風情でまとめられている映画。



続いてドラマ版。主にシーズン1と2。
3も途中まで見ましたが、なんか飽きちゃって離脱。




『FARGO/ファーゴ』(スターチャンネル) (Wiki)

内容

コーエン兄弟がアカデミー脚本賞を受賞した映画「ファーゴ」(1996年)がベースのクライムドラマ。
コーエン兄弟自身が製作総指揮として加わり、脚本ノア・ホーリーが映画で絶大な人気を得たアメリカ極寒の地の“ミネソタ・ナイス”と呼ばれる独特な田舎の純朴さとダークなユーモアをそのまま生かし、キャラクターとストーリーは本作のため新たに書き下ろした海外ドラマ。(公式)


感想

・そうなんだろうなというのはドラマ版を見ながら感じてはいましたが、実際に映画版を見てみると、改めてその世界観の完璧な"移植"ぶりに驚きます。
・クレジットを見る限り、製作総指揮・脚本のノア・ホーリーは、映画版の方には無関係らしんですけどね。
・ある程度客観化が可能な「ストーリー」ではなくて、言ってみれば監督の個人的生理そのものである「世界観」や「演出」自体が主役の元映画を、よくもここまで"再現"して見せたものだという。
・一方でストーリーの変奏の仕方も絶妙で、上で言ったように映画とシーズン1でストーリーが違うのを、一瞬忘れてしまったくらい、この世界観で"ありそうな"ストーリーになっている。
・ほんとに何というか、映画『ファーゴ』及び監督ジョエル・コーエンと、同じ"ソース"にアクセスしているような感じで、超能力者か何かですかという。
・結構本気で"ノア・ホーリー、ジョエル・コーエンの変名説"も考えてしまったんですが、Wikiを見る限り他にも立派な仕事をしている実在の人物らしいので、ぐぬぬという。(笑)
・でもまだ疑いが、完全に消えたわけではありません。(笑)
・映画版ドラマ版双方の冒頭で語られる「これは実話である云々」も、実際フェイクのようですしね。
・まさかそこも含めて騙し・・・(ドツボ)
・ちなみに直接演出を担当しているのは、製作総指揮にも名を連ねているアダム・バーンスタインを筆頭とする複数の監督ですが。
・アダム・バーンスタインの過去作を見てもシーズントータルを監督するようなタイプではないようなので、やはりメインとなっているのは実作上も、ノア・ホーリーの影響力の方なんだろうと思います。

・作品の内容としてはだから、基本的には映画版そのままと考えていいんだと思います。
・ただシュールで残酷な事件(と無能な警察)の中で、一人だけ正気を保っている女署長(最初副署長)モリー
モリー

が凄く魅力的なので。
・映画版の方ではやや"付け足し"的に感じられた「無常の世界の中で日常を保ち続けること」価値みたいなものが、より強調されている感じにはなっていますかね。
パパとの関係
モリー父

も、なんかいいですし。
・...まあ単純に、"尺"の問題という、可能性もありますけどね。
・映画では描き切れなかったモリーの「日常」を、連続ドラマという形態の中でならよりじっくり描けたという。
・それにしてもモリーと、それから事件の捜査を通して結ばれるガスとの控え目な"恋愛"の描写は魅力的でした。
・ひょっとしたらここらへんが、(ジョエル・コーエンには無い)ノア・ホーリーの"個性"なのかも知れませんね。


・とまあ、"比較論"としては、こんな感じになるかと思いますが。
・そもそも何が面白いのか、なぜ評価されたのかということになると・・・
「演出」、としか言いようがないところがあって困るんですが。演出力というか。
・シュールな世界に観客をがっちり引き込んで、しかし決して"入り込ませ"ない、一定の距離感・冷静さを保たせ続ける完璧なコントロール
・でありながら飽きさせない、"サスペンス""アクション"としてグイグイ引っ張る部分もしっかりあって、何か本当に、見てて「いいようにやられている」感じが愉快でした。(笑)
・これは確かに、尋常の腕ではない。
・一方で個人的に評価したいのは。
・このように"高級"感のある、映画を基にした"映画"的な演出であっても。
・しかし単に映画的演出の引き写しや、テレビドラマを"下"に見ての"映画"感の塗りたくりにはなっていないというところ。
・テレビドラマのコンパクト感や"連続"もののリズム感もしっかり生きている、(「映画」から)自立した作品になっているところ。
近年のHBOドラマ(('12)『GIRLS/ガールズ』以降)などとは違って
・...最近こればっかり言っててすいません。(笑)
・まあ多分これは、「映画」か「テレビ」かというような大層な問題ではなくて、フォーマットに合わせたより有効な作品作りという、クリエーターとしての基本的な心掛けが踏まえられているかいないかという、それだけの問題だと思うんですけどね。
・ファーゴが偉いというよりも、HBO作品が狂ってるというか思い上がってるというか。
・ドラマ界を盛り上げているようで壊しているというか。
・コーエン兄弟だってスピルバーグだってやっている配慮を、なぜ君たちはやらないでいいと思えるのかという。
・ほんとに。一時の流行であることを望みますが。好きな製作局だっただけに悲しいです。

・以上、専らシーズン1についての感想になってしまいましたが、シーズン2も基本的に同じです。いい意味で。
・ただ"同じ"なのでシーズン3では、いい加減少し飽きてしまったと、そういう話。(笑)
・気分が変わったら、また続きを見るかも知れません。(笑)


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Posted on 2018/01/17 Wed. 20:03 [edit]

category: 2010-2014年のドラマ(アメリカ)

thread: 海外ドラマ(欧米) - janre: テレビ・ラジオ

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