死ぬまで海外ドラマ(死ぬ海)

アメリカ、イギリス、中国と欧州各国のドラマ。

あくまで"アメリカ人用"の作品 ~『将軍 SHOGUN』(1980)  

年末年始のサッカーとバレーの細々とした試合を見る為に、今"プレミアム15"で契約しています。
その数合わせ(笑)で契約した"時代劇専門チャンネル"で見れました。





『将軍 SHOGUN』(時代劇専門チャンネル) (Wiki)

内容

乗船していたオランダ商船の難破により、伊豆に流れ着いたイギリス人航海士ジョン・ブラックソーン(リチャード・チェンバレン)。
折しも日本では、有力大名たちが天下を争っており、将軍の座を狙う東の虎長、西の石堂に勢力が二分されていた。見知らぬ異国でブラックソーンは、壮絶な覇権争いに巻き込まれていく。
そして日本について学ぶため、侍の妻まり子と接するようになったブラックソーンは、次第に彼女を深く愛するようになる。やがて虎長に目をかけられるようになり、外国人として初めて侍の身分を与えられるのだが…。(公式)


感想

・日本側出演者以外は、原作も監督も脚本も、全てアメリカ人の手になる作品。
・子供の時に見た時は、日本についての珍妙な風俗描写が散りばめられた変に残酷な作品という印象しか無かったんですが。
・あとは"まり子"役が、当初の予定の「ジュディ・オング」から「島田陽子」に変更されたことについての、大人たちのがっかり感。(笑)
島田陽子の入浴シーンなんていつでも見れるわ!ジュディ・オングを見せろジュディ・オングを!という。(笑)
・Wikiによると出演の決まっていたジュディ・オングが、「「魅せられて」が日本レコード大賞を狙える大ヒットとなったことで出演を辞退した」という、そういう前後関係だったそうですが。
・結果的には島田陽子で良かったと思います、後で言いますが。
・全6話。

・さて見返しての感想ですが。
・"風俗が珍妙"なのは変わらず。
・やたらハードルの低い「切り捨て御免」「切腹」と言った、"侍"文化の誇張。ついでに一介の村人まで武術の達人であるという、東洋幻想。(笑)
・唐突に出て来る「釜茹で」や、手漕ぎ船一般をガレー船(奴隷船)と同一視する、これははっきり言って"野蛮"視
・妙に性的にオープンな武家の子女や、逆に妙に社会的に地位の高い遊女といった、恐らくは日本人が"南国"に抱くような(性的)ユートピア期待
・一番真面目に問題だったのは、"敬語"のカジュアルなのか格式張ってるのかよく分からない混乱した使用で、これは作品の「内容」に関わって来るので、もうちょっとちゃんと考証すべきだったかなと。
・ただこういう日本人の目からはおかしく見える一つ一つではありますが、それでもアメドラに氾濫する"中国との混同"のような根っからいい加減なものではなく。
・それなりに「理解」の努力をしながら個別のディテールで知識の限界があるという、そういう性格のもので。
・例えば目黒祐樹演じる、最初はブラックソーンに放尿の屈辱を与えたりする伊豆の現地責任者的な侍を、厳格ではあるけれどそれは彼なりの秩序意識に基づいたもので、決して単なるサディスティックな動機によるものてはなく道理を理解すれば話の通じる相手だと描写していたあたりは。
・作者の"真剣味"を感じました。

・総じて日本人の目におかしく見えるのは避けられなくて、それによってこちらの"真剣味"が(笑)しばしば削がれるのは致し方ないところではあるんですが。
・ただ忘れていけないのはこれがアメリカ人によってアメリカ人が見る為に作られたものだということで。
・そのレベルで言えば、許容範囲というか完全に"間違っている"というわけでもない、そういうタイプのおかしさとは言えるかなと。
・逆に日本人が他国の文化を描写する時に、どれくらいのギャグをかましてるのか、その国の人に聞いてみないと分からないわけですし。
・まあこんな話もありますしね。

・これをもって銀英伝が不真面目な作品だ増して下らない作品だとされてしまうと、かなり辛いわけで。
・そもそも"日本人"用だから、許してよという。(笑)

・真面目な話、これは本当に真剣な作品で。
・様々な"誤解"も含めての日本文化への憧れと理解の努力、それを欧米文化と比較して取り入れようとする努力。
・特に中心となっているのは所謂「無常観」で、『生きるのも死ぬのも同じ』みたいな言葉が形を変えて何回も何回も出て来て、最初は何だろうと思ってたんですが。
・正直使い方としては唐突というか、場面と比べて重過ぎて意味不明なことは少なからずありましたが。
・ただその種の「諦観」や「潔さ」に作者が本気で感銘を受けていてそれが西洋には無い、日本の精神性の高さだと考えているのは伝わって来ました。
・"武士道"と重なるところはありますが、もう少し広範な精神性の問題として考えているように見えましたね。直接仏教が出て来たりはしませんでしたが。
・逆に日本人の目から見ると、むしろキリスト教の"神の思し召し"運命論で代用出来る部分も少なからずあるように見えたりしたんですが、あくまで日本固有のものと、作者は捉えているようでした。

・というわけで日本人としては「納得」するまではなかなか難しいところはあるとしても、"異文化理解"を真剣に試みたドラマ/作品であるのは確かで。
・アメリカで高い評価を受けたことは、そんなにとんちんかんなことではないかなと。
・ちなみにエミー賞ミニシリーズ部門とゴールデングローブ賞で、共に作品賞受賞。
・"日本人"的な感動ポイントとしては、島田陽子の演技ですかね。
・ひょっとしてほんとにリチャード・チェンバレンとデキてたんじゃないかと思うくらい(笑)、中世末期の日本人女性が漂着した英国人男性を愛するようになる姿を、リアリティを持って演じていました。
・根本には"英語も堪能なクリスチャン女性"という特殊性があるはずなんですが、それよりも「日本人」が「日本人」として、引くべき線はきっちり引きつつ、しかし愛し受け入れる姿が説得力を持って描かれていたと思います。
・そこらへんは「恋愛」の普遍性ということもあるでしょうが、"ドラマ"としての基本的な質の良さというものが見られるところと言うべきで、特に日本人が絡まない外国人どうしの場面はなかなかの迫力で、これが本来の実力なんだろうなという感じ。
・とにかくジュディ・オングでは、こうは行かなかったと思います(笑)。バタ臭過ぎるし。島田陽子は適役でした。

・というわけでお勧めするかしないかは微妙な感じではありますが。日本人には。(笑)
・風変わりなアメリカ・ドラマとしてなら、見てみるのも一興かと。
・ちなみにナレーションはオーソン・ウェルズです(笑)。隠れた豪華キャスト。(笑)


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Posted on 2017/12/27 Wed. 20:07 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(アメリカ)

thread: 海外ドラマ(欧米) - janre: テレビ・ラジオ

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コメント

ドッカーンアチアチーンアッハッハ

ドッカーンアチアチーンアッハッハです。
こんな感じです。とんでもないご褒美を差し上げたようです。とある東洋人俳優が西洋人俳優に対して「その方お主に素敵なご褒美をあげよう」て言って西洋人俳優が東洋人俳優に対して「えっ何何をするんですかこんな事んするご褒美とは聞いておりません」と東洋人俳優対して東洋人俳優が西洋人俳優に対して「いいからそっちを向いてろ今やるから」といい排泄をしたような場面が不適切でありました。地上波で今は流せないだろうと思います。それだけに水に(見ず)に流します。(=`ェ´=)です。

URL | ドッカーンアチアチーンアッハッハ #-
2019/06/12 20:50 | edit

>地上波で今は流せない

ああ、そう・・・かも知れないですね。
「映画」ならまだいけそうな気もしますが。
当時そういうシーンがあったという記憶も特に無いんですが、どうでしたかね。"釜茹で"は日本語Wikiにも載ってますし、あったような気がするんですが。

URL | アト #/HoiMy2E
2019/06/12 23:15 | edit

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