死ぬまで海外ドラマ(死ぬ海)

アメリカ、イギリス、中国と欧州各国のドラマ。

"FUZE"海外ドラマ特集/感想 #8&#19  

余り関連性は無いんですけど、批評性の高い良記事二つ。


#8
「偏見の恐怖」から社会を救うコメディドラマこそ現代のジャーナリズム

いかにコメディドラマがその身軽なフォーマットを活かして社会問題、特に「偏見」の問題を扱って来たかの歴史が語られています。
事実問題としては興味深いですし、またそこに現れている「偏見」「差別」と総称されるものの現代における複雑な構造、捉えどころの無さも、改めて考えさせられる問題ではあります。
・・・「偏見」自体が複雑化したのではなくて、問題を捉える"精度"が上がった為に、かえって理解・把握が至難化したという、そういう「現代化」ですけど。

"ロマン主義"的ドラマ愛好家としての僕の関心は、やはりここらへんですかね。

男女差別、人種差別をコメディが批評するスタイルについて「本質的な笑いのエッジが社会問題によって損なわれていくのでは」とクオリティに疑問の声があがり、社会批判への需要から生まれるコメディに対しては、ジェリー・サインフェルドのような大御所コメディアンも懸念を示す。


ジャーナリズムであることは否定しないけれど、それはいいことなのかということ。"ドラマ"として。
あるいは最終目標としての、"クオリティ"との関連性はという。
一定の意義があるのは間違いないですけど、論文・評論を読みたければ僕は普通にそっちを読むので、"ドラマ"における「ジャーナリズム」というのはそのドラマの面白さの"可能性"の一つでしかないというか、せいぜいが見る"きっかけ"に過ぎないというか。
もっと言うと、「見ない」きっかけにすらなり得る。(笑)
まあ結局は個々の作品を見て、どう思うかですけど。・・・どう"消化"されているか、かな?やっぱり。"正しさ"では必ずしもない。



#19
映画『ブラックパンサー』は本当に傑作なのか?ーーブラック・ライヴズ・マター以降/トランプ政権誕生以降の「ブラック・コミュニティ発ドラマ表現」を巡って

・・・長い
なぜ二回に分けなかった。(笑)
というわけでまともにやってるときりがないので、かなりざっくりつまみ食いで。

宇野:でも、そんな『ブラックパンサー』の物語に奉仕した作りというのは、ある意味、今のドラマ的な作りとも言える。ドラマ視聴に慣れている現代の観客にフィットしたことも、『ブラックパンサー』はこれだけ大きなヒットになった理由の一つかもしれない。
磯部:映画としてのダイナミズムには欠けるところがあるけれど、だからこそ今っぽいかもしれない。


一方で「映画並み」になったからテレビドラマの隆盛があると語られながら、その一方で映画程"ダイナミズム"が無いのがテレビドラマでかつそれに慣れた視聴者がそういう「映画」をヒットさせたそのことが"現代的"であると。
ほんとかしら(笑)。ちょっとこじつけの臭い。まあ作品見てませんが。
所謂"アクション映画"的なそれを別にして、映画ファンがドラマファンより「映像的なダイナミズム」とやらをそれほど感受して見ているとは、僕には思えませんけどね。ゴダールたちがそれを批判した昔から、特に変化があったとは。

宇野:『ワンダーウーマン』は女性が主人公で、『ブラックパンサー』は黒人が主人公。それって政治的な配慮という以上に、マーケティング的なチャンスがそこにあったということなんですよ。

宇野:ライアン・クーグラーの抜擢に関して一番重要なポイントは、女性が主人公の映画は女性監督が撮って、黒人が主人公の映画は黒人監督が撮るっていう風に、ここ数年でアメリカが変わってきたのを象徴していることですよね。


分かり易い構造ではあるけれど、なんか色々と身も蓋もねえなあと思っていたら・・・

実は黒人監督が黒人の主人公を撮るムーヴメントは80年代後半から90年代前半に存在して、商業的にも成功していましたよね。『ドゥ・ザ・ライト・シング』(1989年、スパイク・リー監督)とか、ジョン・シングルトンの『ボーイズ'ン・ザ・フッド』(1991年)とか、フューズ兄弟の『メナース・ソサエティ』(1993年)とか。僕も学生時代に夢中で観てました。(中略)
でも、結局、それは一度ポシャってしまった。


ああ、確かに。
そう言えばあれはどうなたったんだろう。

そしてその世代の監督たちの最近の仕事や、同じようなスタンスの作品が今一つ上手く行っていないように見えるということについて。

渡辺:考えられることは二つあると思います。一つは、かつて『ドゥ・ザ・ライト・シング』や『トレーニングデイ』(2001年)、『ボーイズ'ン・ザ・フッド』で描かれていたようなものは、たぶん、今は黒人以外のオーディエンスにとって共感しにくいっていうこと。でも、今は黒人以外の人たちの共感も得てビッグ・ヒットになっていくので。


前後色々と語られていますが、要は「黒人」「白人」ないしは"当事者"性のようなもののドラマ的商業的な機能の仕方は、かなり多面的になっていてそんなに単純な機能の仕方はしない、"身も蓋も"結構あるという、そういう話か。
・・・ちなみにここで「上手く行っていない」と評されているジョン・シングルトン監督による『スノーフォール』は僕自身はかなり面白かったですけど、確かにほとんど"瞑想"的なまでにブラック・カルチャー、ドラッグ・カルチャーの「内部」に入り込む感じの作り方で、入り口で人を選ぶだろうなあという感じはありました。"普遍的"でないところが、僕は面白かったんですけどね。


宇野:あと、向こうではみんなハッパを吸いながら観てるからね(笑)。そういうのは大きいんじゃないですか。アメリカではマリファナの合法化がどんどん進んでいて、アカデミー賞でも延々とハッパネタをやっていたくらいですし。
磯部:「ネットフリックス・アンド・チル」なんてスラングがあるくらいですもんね。


最近のブラック映画(ドラマ)が、"リアリズム"よりは"シュールレアリズム"に近づいているという現状の「理由」として。(笑)
ああ、それやられるとなあ。かつての"サイケデリック・ロック"とかも、ものによっては本当に何が面白いのというか、"内輪受け"の臭いが濃いものが結構ありますからね。


田中:自分自身をサンプルにして話すとするなら、僕自身は日本よりもアメリカや欧州のカルチャーを興味を持ってきたわけです。もちろん、その一番の理由は文化的にアメリカに植民地化されてきた世代だからなんですけど(笑)。ただ、そこにどういうメカニズムが働いていたかというと、『スタートレック:ディスカバリー』(2017年)のテーマを引用すれば、「自分を知るための最良の方法は、他者を深く知ることなんだ」ってことなんです。自分とは違うカルチャーに触れた時に、その差異からようやく自分のカルチャー、強いては自分自身のことが見えてくる。自分自身はそういうメカニズムで海外のカルチャーを享受してきたと思うんです。


最後に余り本編とは関係がありませんが、海外ドラマ及び海外ロックファンとしての、"共感"ポイント。
まあ海外ロックに関しては、割と一方的に「音楽」についての"基準"を植え付けられたようなところもありますが、「海外ドラマ」の比較機能対照機能はほんと優秀で、日本のドラマを見るより遥かに効率的に日本のことが理解出来る気がします。
単純に"対抗"機能が日本のドラマには皆無に近いというのもありますが。
まあアメリカ人がアメリカのドラマをどう見ているかそこからどれほどのものを得ているかについては、疑問が無いこともないですけどね。そういう意味では、「日本人」というポジションは、ラッキーかも知れない。"クオリティ"と"視点"と、両方楽しめる。


以上。
今回の二記事については、事実問題が膨大なので、僕のまとめよりもやはり本体を読んだ方がいいと思いますが。(笑)
あと1,2回かな?


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Posted on 2018/04/03 Tue. 14:44 [edit]

category: 全般

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