死ぬまで海外ドラマ(死ぬ海)

アメリカ、イギリス、中国と欧州各国のドラマ。

海外ドラマの監督たち(中国編) :1980年代 & 概論  

中国版も始めてみます。


1980年代

三国志 諸葛孔明[諸葛亮](1985) (ぽすれん) (百度)

导演[監督] 孫光明



西遊記(1986) (ぽすれん) (百度)

导演[監督] 楊潔



紅楼夢(1987) (ぽすれん) (百度)

导演[監督] 王扶林(ワン・フーリン)



ラストエンペラー[末代皇帝](1988) (ぽすれん) (百度)

导演[監督]
 周寰(シュウ・カン)
 張建民(チョウ・ケンミン)


・・・終了

いや、'80年代は事実四つしか見てませんし、これで終わりと言えば終わりなんですがそれではあんまりなので(笑)、概論的なことでも一つ二つ。


アメドラとの比較

アメリカ版の(今のところの)最終形はこんな感じ
このように中国版も、最終的にはそれぞれの監督の"過去"作がここにずらずら書き連ねられて行くはずですが、違うのはアメドラの"監督"が慣習的に分業というか複数の監督のローテーションで行われるのに対して、中国ドラマは基本的に一作一人のようなので、アメリカ版のようなごちゃごちゃした長大な表記にはならず、僕の作業もだいぶ楽だろうと期待(笑)出来ます。(アメリカ版はしんどかった)

ちなみにイギリスドラマは、ちゃんと調べてはいませんが経験的には中国の方に近い形態、一方で日本のドラマは複数"ディレクター"で回すのが慣習には見えますが、ただその中で"メイン"のディレクターとその手の回らない分を助ける"サブ"のディレクターの序列は割りとはっきりしているように思うので、世界的には実はアメリカの作り方の方が孤立して分業的だと言えると思います。ドラマの"中心"は、アメリカですけど。
知る限りアメドラの"監督"に一番近い位置づけは、日本のアニメの各話「演出」で、その場合日本のアニメの「監督」に当たるのは実はアメドラの場合「製作総指揮」ではないかという想定で、今やっている"プロデューサー"のリサーチなども始めたわけですが。


日本のアニメとの比較

中国ドラマの一つ気に入っているのは、日本語で言う「監督」のクレジットが、「导演」=「導演となっているところ。
導演。演技を導く人。いいですね。分かり易い。

というのは、日本のアニメの場合、「監督」の仕事は(声優の)演技を導くことではあまり無くて(方向性くらいは示すでしょうが)、その仕事は「音響監督」という別の専門の人がやるので、そこらへんの二頭体制(?)がどうも僕は気持ちが悪いのです。(笑)

 "音響監督"というお仕事 ~アニメ監督は灰皿を投げない?![2016-10-17]

まあ近年の中国ドラマのいちいち壮麗な映像美を見ていると、そうそう演技指導だけで実際に監督が務まるとは思えませんが、とはいえ「導演」というくらいで演技についての責任は当然持っているんでしょうから、そこらへんは何か安心(笑)して見ていられますね。
芝居を褒めたい時もけなしたい時も、"責任者出て来い"と言えばちゃんと当人が出て来てくれそうなので。
何だよ音響監督って。
とりあえずそれだけの話です。

・・・と、ここまで書いておいて「演技」というより(例えば)「演劇」の"演"なのかなあとちょっと気付いてしまったんですけど、今の僕の(中国語と中国映像劇の)知識ではそれ以上は分かりません。まあ「演劇」だとしたら、その場合それ以上に(「映画」や「テレビドラマ」以上に)仕事内容の中での"演技指導"の比重は高いでしょうから、結果的にはそれでいいのかも知れませんが。どうなんでしょうね。
「俳優」「演員」というので、「演」だけで"劇"みたいな意味になって、"劇を導く人"=監督・演出家=「導演」なのかも。あ、それっぽい。(笑)


次回は1990年代。


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Posted on 2019/02/18 Mon. 19:45 [edit]

category: 海外ドラマの監督たち(中国編)

thread: 中国ドラマ - janre: テレビ・ラジオ

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