死ぬまで海外ドラマ(死ぬ海)

アメリカ、イギリス、中国と欧州各国のドラマ。

『ミス・マープル』(ジョーン・ヒクソン版) (1984)[英]  




AXNミステリーが年末(というかクリスマス)に一挙放送してくれた、言わずと知れた名作。(チャンネル公式)(Wiki)
前に見たのは「ミステリーチャンネル」の時代だったかなあ。正直未だに"AXNミステリー"には違和感がある。"AXN"なのか、"ミステリー"なのか。
(買収した)AXNの顔を立てつつ分かり易くするなら「AXN USA」「AXN UK」とかでどうでしょう。(笑)
そういえばAXNも昔は、"アクション"TVと自称してたんですよね(Wiki)。それが残ってれば、"ミステリー"と並びは良かったかも知れませんが、もう内容にそぐわないな。
いや、AXNで(も)良質な"ドラマ"が見られるようになったのは、ほんと有難いんですけどね。その分FOXの劣化が激しいような気もしないではないですが。

それはともかく。
久しぶりに見て、再確認したことと発見したことと。


「ミス・マープル」と「ジョーン・ヒクソン」と「山岡久乃」の三位一体

アガサ・クリスティー原作の人気キャラクター、お婆ちゃん探偵ミス・マープルと、アガサ・クリスティー本人のオファーがあったという話が残っている(Wiki)くらいのジョーン・ヒクソンによる理想的な映像化、演技。
と、そこに更にここ日本では、(NHK放送時の)故・山岡久乃さんによる、それだけジョーン・ヒクソンが理想的であるにも関わらず、あえて山岡久乃さんの声で聴きたい、それが無いのが旧DVDでは残念だったという声があちこちから聞かれるくらいの吹き替え(版)の人気という要素が加わります。
どちらを取るかとあえて問われれば、そりゃあ僕は素敵な素敵なお婆ちゃん、ジョーン・ヒクソンさんの肉声の方を取りますけど、でも吹き替えの方で見たいという人にも、異論は全くありません。それ"だけ"見るという見方も全くありだと思います。
結構珍しいパターンですよね。"原作"ファンほどじゃなくても、(ある作品についての)"字幕"ファン、字幕版のオリジナルの味を支持している人が、吹き替え版の方にもここまで寛容でいられるのは。たいていは"違うんだけどなあ・・・"という苦い感じが残る(笑)。そういうニュアンスの作品じゃないんだけどなあという。それくらい、吹き替え自体がまた素晴らしいということですが。

簡単に言えば、山岡久乃さんの吹き替えが、オリジナルの味を全く損なっていない、ニュアンスを的確に伝えているということではあるわけですけど。
ただ"似てる"というのとも、少し違うと思うんですよね。別ものではある。別ものではあるんだけど・・・。でもやっぱり、"ミス・マープル"だよなと、感じさせるわけです。山岡久乃さんの吹き替えが。ミス・マープルってこういう人だよなと。ジョーン・ヒクソンがそうであるのと、ほとんど同等に。
"似せ"てはいない。でも勿論、洋画のベテラン声優たちがよくやる、自分の芸風に寄せて換骨奪胎してしまう、あのパターンでは全くない。そもそも山岡さんは、そんなに沢山吹き替えをされた方でもないですし。
では何かと言えば、"演技"をしているということですよね。馬鹿みたいな答えですが。つまり「吹き替え」をやっているのではなくて、「演技」をしている。ちょっとこの言い方は語弊があるかもしれませんが(笑)、要は普段の出演作品と同じ次元で、"演技"をしているということ。それがたまたま、"吹き替え"という形を取っているだけで。

そうは言っても既にジョーン・ヒクソンによって形にされたものがあるわけで、いちから役作りするのと同じというわけにはなかなかいかないはずなわけですが、しかし出来ている。それだけ山岡さんが、この仕事にこの役柄に、心揺さぶられて魂を込めたということでしょうし、更にそこには、本来演技の純度という意味では"邪魔"になってもおかしくない、「ヒクソンのマープル」自体に、山岡さんが震えた共鳴した、別な言い方をすればヒクソンの演技の元になった"感動"を、山岡さんも共有した、他ならぬヒクソンの演技を通して。と、そういうことが想像されるわけですが。

あえて図式的に整理すると、(クリスティーの認めた)「マープル≒ヒクソン」の距離の近さ、実在感、それが山岡さんをも巻き込んで、「マープル≒ヒクソン≒山岡」までその"連結"が伸びたと、そういう感じ。・・・実際にはもう一本、"マープル≒ヒクソン"間ほど太くはないけれど、"マープル≒山岡"という直接の線も、補助線としてはあるんだろうと思いますけどね。そこらへんは微妙。原作なり同じ台本なりを基に、山岡さんがご自身の体を使って演じられたならば、関係はもっと簡単なんでしょうけど。(笑)

とにかくこれら3者の共同作業として、とてつもない実在感で、(ドラマ版)「ミス・マープル」というキャラクターが、この世に出現したということ。
その"実在感"は、"まるで本当にいるみたいだ"という単純な意味でもそうなんですが、と同時に、それ以上に(笑)、"こんな素敵なお婆さんが実在していて欲しい"、ミス・マープルが架空の人物なんて信じられない、信じたくない!というような、そういう気持ちを見ている側に起こさせる、そういう意味でもあります。
ほんとにね。人はこうあるべきだと思いますよね、ミス・マープルを見ていると。「理想的」だけど「自然」。むしろ"当たり前"を体現しているような存在。それゆえ現実感もある。でも理想。(笑)


「ドラマ」としてのミス・マープル ~典型性と例外性

上で熱弁を奮っているように(笑)、"ドラマ"としてのミス・マープルの魅力も、一言で言ってしまえばミス・マープルが魅力的なキャラクターだという、その一点に集約してしまうところはあるわけです。後はあれかな?"名探偵"ミス・マープルの推理法が、捜査経験でも犯罪心理学でもなく、「セントメアリミード」というミス・マープルの住まう田舎町の、限られた数の住人たちの性格と行動の観察、それのみから引き出される、押しなべて人間のやることなんて色々あるようでその程度のものだという、そういう世界観(の魅力)かな?まあこれは、原作に既にあったものでしょうが。

「復讐の女神」のような大掛かりなエピソードもいくつかはありますが、総じて"ミステリー"ドラマとしてはそれほど凝った作りになっているわけではなく、往々にして最後になってドタバタと、マープルが口で全部説明してしまっておしまいみたいな傾向もあって、やはりミス・マープル自身の特別な魅力あっての"名作"評価であると、見直してみてそういう感想はなくはなかったです。

ただこれは別に『ミス・マープル』に限った話ではなくて、今日(こんにち)見ることの出来るイギリス製ドラマには、総じて多かれ少なかれ、そういう傾向はあると思います。
まとめると

1.主人公(の名探偵名刑事)の人格的魅力・個性に大きく依存したドラマ構造
2.1の一方で、かなりな脇も含めた登場人物全員にある種の「主体性」を持たせる"群像劇"体質。
3.かっちりした構成美や話のまとまりよりも、ドキュメンタリー的な"自然"な演技演出を優先する。


といった特徴。
後述するように、"3"は必ずしも意図的なものではないのかも知れないですが、とにかく特に2と3の特徴が合わさることによって、アメリカ製ドラマの分かり易く劇的な作りに比べるとどうしてもややのっぺりして"ダルい""眠い"というような傾向が、出来不出来以前にイギリスドラマには付きまとう面があると思います。"傑作"でも若干ダルい、"傑作"なのに寝落ちする。(笑)
であるから逆に、"1"の名探偵主人公の魅力が無いともたない、ということも言えるかも知れません。


で、『ミス・マープル』なんですけど、1は言うまでもないですし、2もきっちりと当てはまると思います。
ただ3は・・・意外とそうでもないんですよね、改めて見てみて気が付いたんですけど。あれ?随分見易いぞと。眠くならないぞ?(笑)と。すっきりした作りで、"ニュアンス"の海に溺れてる感じではないぞと。あくまで現代に至る、他の数多の英国製ドラマとの比較で言ってるわけですけど。

翻ってドラマ『ミス・マープル』が作られた1984年という時代を振り返ってみると、こちらを見てみれば分かるように、日本で見ることの出来るイギリスドラマの、ほぼ最古の時代。それ以前を知らないので何とも言えないところはありますが、恐らくは"現代"的なイギリスドラマのルネッサンス期というかはしりの時代だったんだろうということが推測出来ると思います。そしてその後、イギリスのドラマに演出や撮影上の大きな変化が起きているようには見えない(その証拠に今回1984年の作品が何の違和感も無く見られた(笑))ので、そういう意味ではその名声と共に、一つの「典型」を示した今もって代表的な作品であると、それは言ってもいいように思います。

ただ一方で「典型的」でない部分もある、簡単に言えば"古典"的伝統的劇作りならではの分かり易さも感じるということを上で言ったわけですが、もう一度当時/'80年代のラインアップを見返してみると、同時期でも原作クレジットが無いのでオリジナル脚本だろう『刑事タガート』('83)や、原作自体が'80年代のものである『主任警部モース』('87)の場合は、既にあらゆる意味で現代のイギリスドラマ文体そのものがほぼ展開されていると感じます。
対してクリスティー原作の二本(『マープル』『ポワロ』ともに原作は'20年代)と19世紀作品が原作の二本(『シャーロック・ホームズの冒険』『ホーンブロワー』)には、現代性も香りつつも明らかに違う顔が見えるわけで、要は原作・原アイデアの時代背景が、そのままドラマの文体に反映していると、最も簡単に解釈すればそういうことだと思います。

逆にだから、現在見られるイギリスドラマの文体、特にアメリカと比べた違いは、意図的に確立したものというより総じて文化あるいは"文芸"文化を素直に反映したものと、そう考えていいのかなという気がします。例えば日本であんな撮り方をしたら、「何芸術ぶってるんだ」とクレームがつくと思いますが(笑)、その割にほとんどあらゆる英国製ドラマが似たような特徴を示しているように感じるのは、要はあれが"自然"だからなんでしょう。別に"高尚"に作ってるつもりはなく。(笑)
まあアメリカとの比較で言えば、イギリス以外のヨーロッパのどの国のドラマも、似たようなものというか"イギリス"サイドですからね。要は流儀の違い、文化の違い。芸術理論というよりも。(笑)

で、もう一度『ミス・マープル』に立ち戻ると、そういった伝統性、古典美という特徴を示しつつも、あからさまに"時代劇""歴史もの"な『冒険』や『ホーンブロワー』は別にしても、同じクリスティー原作の『名探偵ポワロ』に比べて、かなり"自然"で現代的な作りになってるように思います。・・・ていうか『ポワロ』は演出が余りに古臭い、大げさというか"マンガ的"で、僕は余り好きじゃないんですよね。(アメリカものですが)『奥様は魔女』かよ!とか言いたくなる時があります。(笑)
とにかく"古典"どうしの比較で言えば"現代"的、"現代"ものとの比較で言えば"古典"美が際立つという、悪く言えばどっちつかずですけど、実際の感触で言うと「古典」的原作をその品位を失わずに、ぎりぎりのバランスで現代的に映像化したやはり傑作と、多少贔屓入ってるかも知れませんが(笑)そういう評価にしたいです。

こうして見ると、結構"唯一"の作品かもなと。自分でひねり出した論理に説得されてみたりしますが。(笑)
実際には製作者の考えていたことは、「この素晴らしい原作をいかに理想的に映像化するか」、ほとんどその一点だったのではないかと思いますけどね。その背景として、ある意味"たまたま"1980年代のイギリスのドラマ界という環境もあったと。それと相互作用したと。そんな感じ。


とにかく大好きです、マープルおばあちゃん。
お気に入りの孫になりたいです。(あ、独身か。)

今回は一挙放送でバタバタと見ましたが、何のことはない、2月から一話ずつゆっくりやるようですね。
未見の方はそちらでどうぞ。
しかし最近AXN系で多いですけど、先に"一挙放送"でやっちゃうのって何の意味があるんですかね。"新シーズン前のおさらい"パターンは別にして。


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Posted on 2017/01/16 Mon. 12:20 [edit]

category: 1900年代-2009年のドラマ(イギリス)

thread: 海外ドラマ(欧米) - janre: テレビ・ラジオ

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